古賀文敏ウイメンズクリニックKOGA FUMITOSHI WOMEN’S CLINIC

患者様からのお便りを集めました

患者様の声は、当クリニック宛にいただいたお便りを集めたもので患者様の体験談です。 患者様の声をお読みになって当クリニックへお越し下さる方が沢山いらっしゃいます。 また、当クリニックのスタッフもお寄せいただいたお便りに日々励まされております。

7回の流産を乗り越えて」は、 院長が当クリニックを開業するに至った原点とも言える方からお寄せいただいた体験談です。ぜひお読みください。

なお、「患者様の声」は随時募集しています。こちらからお寄せください。

治療内容

治療内容:

海外からの日本一時帰国治療

9月も下旬になり随分と過ごしやすい季節になりました。
通院中は本当にお世話になりました。 
ちょうど1年前の9月に2度目の顕微授精を挑戦する為に日本に一時帰国しました。
顕微授精さえすれば妊娠する、と案外簡単に考えていた私にとって6月の最初の結果はショックでショックで先生の目の前で不覚にも大泣きしたのを覚えています。
アメリカに戻り3ヶ月間体調を整えて万全な状態で日本に再帰国したら、今度はまさかの遺残卵胞で治療開始を1ヶ月見送ることに。。。
実家には治療のこと、そして私が日本に一時帰国している事は打ち明けていなかったので、治療が1ヶ月も先延ばしになり色んな意味で焦りました。
治療中はマンスリーマンション、ホテル、そして他県の友人宅を行ったり来たりのヤドカリ生活。
家族にも友達にも会えない寂しさ、不安で胸が押し潰されそうな気持ちを病院のスタッフの皆さんが優しくいつも笑顔で話し相手になってくださいました。
どんなに心救われたことか!!
治療はもちろんのこと、まるで心のカウンセリングもして頂いたようなそんな記憶があります。

古賀先生に出会えて、スタッフの皆さんの心温まる励ましに支えて頂いて、今年の夏、母になることができました。
先日で息子は2ヶ月になりました。
とても健康で日に日に成長していく我が子が愛おしくてなりません。

アメリカは普通分娩で48時間、帝王切開で72時間で退院になるんです。早いですよね。
主人も即仕事に戻ってしまい、産後3日目にして1人育児となり今必死にがんばっています。

先生、本当にお世話になりました。
つい先日もウェブページの先生の顔をみて泣いてしまいました(笑)
本当に感謝しています。
思い切って日本に帰国して、先生のところへ行かなかったら、先生に出会わなかったら、今こうして息子に会えることもなかったかもしれません。
1度泣いて泣いて、先生の「次はきっと大丈夫!」の言葉に励まされて勇気をもらって、また日本に帰国して2度目のチャレンジをしなかったらここに息子はいなかった、と思ったら産後でホルモンがおかしいのか涙がとまりません。

そういえば、もうひとつ先生にお礼が言いたいです。
私は実は女の子を強く希望していました。
男の子がわかった時、多少なりがっかりしたような覚えがあります。
もちろん男の子でも嬉しいのですが、状況的に一人しか望めないのなら女の子が欲しい!と思っていたんです。
そんな時に、古賀先生の返信メールに、
「男の子、ですね。○○さんには男の子が似合っていますよ。きっと将来力になってくれることだと思います。」
とありました。
読んだ瞬間に涙があふれてきました。
本当にそのとおりですね。
男の子、可愛いです!私の小さな恋人です。
息子が生まれるまでに、二度の一時帰国、滞在費、移動費、治療費、アメリカでの通院&出産費用で我が家はスッカラカンで火の車ですが今とてもとても幸せな毎日です。

先生の一言にいつもいつも励まされて勇気をもらっています。
頑張って良かった、あきらめないで良かった、と最近良く微笑むようになった息子の笑顔に胸が熱くなる毎日です。

先生、スタッフの皆様本当にありがとうございました。
次回一時帰国するときはようやく実家に帰れます。
キラキラの笑顔の息子と一緒に!

治療内容:

その先へ

相変わらず厳しい暑さが続いていますが古賀先生をはじめ、スタッフの皆様お変わりありませんか。
古賀先生のクリニックでお世話になった○○です。
今、妊娠8ヶ月目に入り赤ちゃん二人共に順調にお腹の中で育ってくれています。
今まで経験した事のない元気な胎動など、日々大きくなって行くお腹など見ると毎日、本当に愛しく、赤ちゃんに会えるのが待ち遠しい気持ちでいっぱいです。
私もお盆休み前の12日までこれといった体のトラブルもなく無事産休に入るまで仕事をする事ができました。
治療中から先生のコラムを読ませて頂きいっぱい元気をもらいました。私もドリカムのファンで8月6日に福岡ドームであったコンサートにも無事行く事ができました。丁度治療中に福岡まで行く車内の中で、「ねぇ」と「その先へ」を何度もリピートし、自分を曲で励まし、励まされながら通った事など思い出し生歌を聞いた時には思わず涙が溢れました。歌であそこまで多くの人達に感動や勇気を与えられるドリカムは本当に凄いなぁ…と只々最後まで感動の連続でした…。出産したら暫くは行くことが出来ないので最高の思い出になりました。

今、改めて仕事が休みに入り、妊娠し、無事にここまで迎えられた経緯を思い返すと先生には本当に感謝、感謝!の気持ちでいっぱいです…。
他の病院で5回採卵して4、5回目には良い卵が出来ず、もう妊娠するのは難しいと言われ精神的に追い詰められボロボロ状態でした。そんな状態を見兼ねてか、地元の先生から古賀先生を紹介して頂きました。
クリニックに初めて伺った時の印象は、中に入った瞬間ホテルみたいな空間で、凄くプライバシーに配慮されていて、クリニックに来ているかんじがせず待合室でリラックスさえしてたように思います。そして先生にお逢いして今までの経緯などをお話し、これからの治療方針など本当に解りやすく丁寧に話して下さいました。私が今まで考えていた治療(持病の内膜症の治療をする事)を選択肢の一つとして考えてくれ、その治療をしていた3ヶ月は今まで、出来なかった習いものや趣味に没頭する事も出来ました。結婚してから五年間子どもの事ばかり考えていた私に精神面で休息を与えてくれ、あの期間も今思い返せば良い方向に繋がったのではないかなぁと思います。主人も古賀先生に出逢えて赤ちゃんを授けてもらって本当に感謝しています。
ありがとうございました。本当は直接会ってお礼を言わなければ行けない中、メールでの送信になりすみません。又、出産した時には改めて報告させて頂きます。

治療内容:

仕事を抜けながらの毎日の通院

暑中お見舞い申し上げます。
そちらでお世話になった○○です。
先月無事に女の子を出産しました。超安産でした!
古賀先生には本当にお世話になり、感謝しきれません。

なかなか授からず不妊治療を始めて4年間、婦人科を転々とし、古賀文敏ウイメンズクリニックと出会うことができました。主人の反対がありながら、他の婦人科でやっと体外受精に何度かふみきったのですが、妊娠に至らず、年齢(40歳)と経済的にも、また、仕事をしながら不妊治療をするストレスもあり、もう諦めなければ‥と思っていたところ、最後にがんばる!つもりで古賀文敏ウイメンズクリニックにお世話になりました。
古賀先生は私の心までケアしてくれました。「不妊治療をして赤ちゃんができる人はできない人の2倍の幸せなわけではない」という言葉は、とても印象的でした。その言葉で不妊治療で盲目になっていた私はリラックスできたと思います。言われたその時は「やっぱ、そんなことない、100倍幸せなはずだ」と思っていましたが、今ではその意味がわかります。また、悪い数値も確率もきちんと楽観的なことはおっしゃらず、きちんと説明してくださり、その対処方法や薬の内容などもわかりやすく教えていただいたことは、ショックもありましたが、自分の状態もわかり、安心感がありました。
仕事を抜けながらの毎日の通院、注射も、今まで通った婦人科では、セカセカとした待合室、画一的な診察と言葉などで、とてもストレスがあったのですが、古賀文敏ウイメンズクリニックは受付の方の笑顔、看護師さんたちの元気づけてくれるやさしさ、古賀先生の私個人に対しての診察、そして雑談にとても癒されました。リラックスできたこともいい結果につながったのだと思います。採卵する卵の見極めや(生意気ですみません。でも真剣に日曜日まで診察してくださったのが本当に感動したんです。)緊張する採卵のときの手術室も音楽が流れていてリラックスできたのも感動しました。もちろん、ステキなお部屋にも。
古賀先生なら、数値が悪くても(私の場合、卵胞刺激ホルモンの値が高い)年齢がいってても、妊娠させてくれると絶対的な信頼感がわきました。
体外受精をして妊娠判定までの2週間は、過去の3回の体外受精の時とは違う、妊娠するのではないか?という感覚がありました。陽性だった時は本当にうれしく、その後心拍が見えたときは、信じられませんでした。クリニックを卒業のときは、もう通えなくなるんだと、とても寂しく感じました。

妊娠しながらの仕事での葛藤や今後の生活のこと、高齢出産で健康な赤ちゃんが生まれてきてくれるかの不安、まだ出産して2ヶ月ですが、体力勝負な育児と「2倍幸せではない」意味がわかりました。でも赤ちゃんは間違いなく幸せを運んできてくれました。孫をあきらめていた両親、体外受精に反対していた夫もデレデレです。

古賀先生、本当にありがとうございました。仕事柄、女性が多い職場なので、同じ悩みの方も多く、先生を紹介してます。
スタッフの皆様、ありがとうございました。皆様の笑顔に元気づけられました。
もうすぐ41歳になります。ダメもとで、もうひとり、がんばりたいと思っています。
来年また伺います。
本当にありがとうございました。感謝してもしきれません。
どうか、お体に気をつけて下さい。

治療内容:

仕事と治療の両立プラス高齢

結婚してから何年もなかなか授かれない、多分不妊治療が必要だとは思っていました。経営をしている立場上、どうしても時間が取れない。いろいろな病院の情報を集めましたが、時間との兼ね合いがクリアーできず、治療を受けることさえ出来ない、と子供を持つことはあきらめ、考えないようにしていました。
そんな時、ある情報誌に「古賀文敏ウイメンズクリニック」の開院を知らせる記事が載ってるのを偶然目にしました。「この時間帯なら私でも通えるかも・・・」「やっぱり子供を生みたい」そうして私の不妊治療は始まりました。
検査の結果、卵管閉塞、および年齢からIVF(体外受精)を進められました。仕事のスタッフに「IVFを3回まで挑戦させてほしい。」と了解をとり、クリニックの最後の予約時間に間に合うように早退して通いました。一回目、二回目のIVFでは着床するも2回流産を経験。三回目は私が仕事の休みの日に採卵することにこだわったので、タイミングを逃してしまい、今回泣きの四回目のIVFで妊娠継続、現在11週で先日クリニックの卒業を迎えました。
初めてお腹の中で動いているわが子をエコーで見たときはうれしさと感動とを感じ、涙が止まりませんでした。
もし、あの時古賀先生に出会わなければ、妊娠も私には関係ないものだったと思うと運命を感じずにはいられません。来年41歳で出産予定です。
仕事を続けての治療は大変ですが、古賀文敏ウイメンズクリニックなら可能だと思います。職場の理解も必要です。この時代だから望める治療はいろいろあると思います。
私は古賀先生に出会え、「妊娠」することが出来たこと、いままでと違う人生を歩めることを心から感謝しています。
最後に、先生、ものすごくわがままな患者でしたが、いつも優しく対応していただき、そして励ましていただき、本当にありがとうございました。

治療内容:

6回目の流産後、最後にこちらに賭けて、本当に良かった

不妊治療という長いトンネルに入ったかのような7年間。はじめ、「子供は結婚をすれば自然に授かるものだ」と過信していました。私はこれまでの人生において、これといった大病をしたこともなく健康に育ってきたので、なおさらそこのような気持ちがあったのだと思います。私の不育症は、妊娠から8週目の心拍停止に始まり、妊娠初期での心拍なし流産も2・3度経験し、妊娠が簡単なことではない現状を目の当たりにすることとなりました。その後、様々な検査・リンパ球移植や漢方薬などの治療を続けたものの再び流産を繰り返してしまうという最悪な結果を繰り返してしまい、私は精神的・肉体的に疲れ、子供の生めない自分を責めたりしていました。
今から一年前に旦那の転勤で福岡に来ました。住みなれない土地で不安ながらも生活を送っていた頃、旦那が「新しく開業した不妊治療の病院があるからいってみよう」と誘ってくれました。ホームページを拝見し、私と同じ状況の方が妊娠された時の体験談を読ませていただき、治療に対する前向きな気持ちにもなれ、二人で病院にお伺いすることに決めました。
古賀先生に初めてお会いした時、今までの経過をとても優しくきちんと聞いて下さり、「これまでに出会った先生方とは何かが違う」という印象を受けました。旦那も同じ印象を抱いたようで「この病院に、古賀先生にかけてみよう」「年齢のこともあるので、この病院を治療最後の病院にしよう」という気持で治療に臨むことにしました。
まず人工授精に挑戦し、妊娠することに成功しました。しかし、胎児の心拍が聞こえてくることはなく、またもや「不育症」という暗いトンネルの中に気持ちを閉じ込めてしまいました。でも当時、仕事をしていたので気持ちの切り替えもでき、長くトンネルの中に閉じ籠らずに済みましたが、しばらくは治療をお休みすることを決意しました。
半年以上経ってから病院に行くと、勝手に治療を休んでいたにもかかわらず、先生は私のことを覚えていて下さり、「待っていたよ」と迎えていただいた時は、とてもうれしい気持ちになりました。
今度は体外受精に挑戦することになりました。注射の際は看護師さんに「立派な卵ができますように」と、いつも優しく対応していただきました。ある日、看護師さんが「この前は右に注射を打ったから今日は左ね」とおっしゃったので、私は「カルテに書いてあるのですか?」とお尋ねしました。すると、看護師さんはカルテに書かれてなくても、どの患者さんがどちらの腕に注射を打ったかということまできちんと覚えている、ということを知りました。数多く患者さんがいらっしゃる中、自分のことを良く知っていていただけるということに気づき、とても嬉しかったです。
「今回もしも妊娠できなかったら・・・」という不安な気持ちと格闘し、移植の日を迎えました。移植日はなんと2008年8月8日の北京オリンピック開催の日!先生も「記念になるね」とおっしゃって下さり、妊娠への期待が高まりました。移植後は「良い方向へことが動きますように」と毎日願うばかりでした。 2週間後の判定の当日、「今日は『仏滅』!なんか嫌だな〜」と思った矢先、病院へ行く途中に接触事故を起こしてしまい、遅れて病院に行くことになってしまいました。とてもブルーな気持ちで臨んだ診察でしたが、検査の結果はなんと!「陽性」。くっきり映ったピンク色の線を見てとてもうれしくて泣いてしまいました。しかし、私には「心拍を確認できるまで…」という戦いが残っていたので、心の底からは喜ぶことができず、少しの間不安な日々を過ごすこととなりました。 7週目に無事心拍確認でき、二つの命を授かっていることを知りました。その夜は旦那と二人、エコー写真を見ながら泣きました。無事に母子手帳もいただき、11週目での卒業となりました。ここまで来れたことはまるで夢のようでした。「不育症」という長いトンネルの中で私たち夫婦は「命の尊さ」を知り、「家族が増える」という夢も叶い、今はこの小さい命を大切にしていきたい気持ちでいっぱいです。まだ妊娠初期の不安定な時期なので不安もありますが、先生に授けていただいたおなかの子供を信じていきたいと思います。
先生はじめ看護師さん、スタッフの方々には本当にお世話になりました。私はこの病院だから授かれました。本当にありがとうございました。

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