古賀文敏ウイメンズクリニックKOGA FUMITOSHI WOMEN’S CLINIC

患者様からのお便りを集めました

患者様の声は、当クリニック宛にいただいたお便りを集めたもので患者様の体験談です。 患者様の声をお読みになって当クリニックへお越し下さる方が沢山いらっしゃいます。 また、当クリニックのスタッフもお寄せいただいたお便りに日々励まされております。

7回の流産を乗り越えて」は、 院長が当クリニックを開業するに至った原点とも言える方からお寄せいただいた体験談です。ぜひお読みください。

なお、「患者様の声」は随時募集しています。こちらからお寄せください。

治療内容

治療内容:

仕事を抜けながらの毎日の通院

暑中お見舞い申し上げます。
そちらでお世話になった○○です。
先月無事に女の子を出産しました。超安産でした!
古賀先生には本当にお世話になり、感謝しきれません。

なかなか授からず不妊治療を始めて4年間、婦人科を転々とし、古賀文敏ウイメンズクリニックと出会うことができました。主人の反対がありながら、他の婦人科でやっと体外受精に何度かふみきったのですが、妊娠に至らず、年齢(40歳)と経済的にも、また、仕事をしながら不妊治療をするストレスもあり、もう諦めなければ‥と思っていたところ、最後にがんばる!つもりで古賀文敏ウイメンズクリニックにお世話になりました。
古賀先生は私の心までケアしてくれました。「不妊治療をして赤ちゃんができる人はできない人の2倍の幸せなわけではない」という言葉は、とても印象的でした。その言葉で不妊治療で盲目になっていた私はリラックスできたと思います。言われたその時は「やっぱ、そんなことない、100倍幸せなはずだ」と思っていましたが、今ではその意味がわかります。また、悪い数値も確率もきちんと楽観的なことはおっしゃらず、きちんと説明してくださり、その対処方法や薬の内容などもわかりやすく教えていただいたことは、ショックもありましたが、自分の状態もわかり、安心感がありました。
仕事を抜けながらの毎日の通院、注射も、今まで通った婦人科では、セカセカとした待合室、画一的な診察と言葉などで、とてもストレスがあったのですが、古賀文敏ウイメンズクリニックは受付の方の笑顔、看護師さんたちの元気づけてくれるやさしさ、古賀先生の私個人に対しての診察、そして雑談にとても癒されました。リラックスできたこともいい結果につながったのだと思います。採卵する卵の見極めや(生意気ですみません。でも真剣に日曜日まで診察してくださったのが本当に感動したんです。)緊張する採卵のときの手術室も音楽が流れていてリラックスできたのも感動しました。もちろん、ステキなお部屋にも。
古賀先生なら、数値が悪くても(私の場合、卵胞刺激ホルモンの値が高い)年齢がいってても、妊娠させてくれると絶対的な信頼感がわきました。
体外受精をして妊娠判定までの2週間は、過去の3回の体外受精の時とは違う、妊娠するのではないか?という感覚がありました。陽性だった時は本当にうれしく、その後心拍が見えたときは、信じられませんでした。クリニックを卒業のときは、もう通えなくなるんだと、とても寂しく感じました。

妊娠しながらの仕事での葛藤や今後の生活のこと、高齢出産で健康な赤ちゃんが生まれてきてくれるかの不安、まだ出産して2ヶ月ですが、体力勝負な育児と「2倍幸せではない」意味がわかりました。でも赤ちゃんは間違いなく幸せを運んできてくれました。孫をあきらめていた両親、体外受精に反対していた夫もデレデレです。

古賀先生、本当にありがとうございました。仕事柄、女性が多い職場なので、同じ悩みの方も多く、先生を紹介してます。
スタッフの皆様、ありがとうございました。皆様の笑顔に元気づけられました。
もうすぐ41歳になります。ダメもとで、もうひとり、がんばりたいと思っています。
来年また伺います。
本当にありがとうございました。感謝してもしきれません。
どうか、お体に気をつけて下さい。

治療内容:

仕事と治療の両立プラス高齢

結婚してから何年もなかなか授かれない、多分不妊治療が必要だとは思っていました。経営をしている立場上、どうしても時間が取れない。いろいろな病院の情報を集めましたが、時間との兼ね合いがクリアーできず、治療を受けることさえ出来ない、と子供を持つことはあきらめ、考えないようにしていました。
そんな時、ある情報誌に「古賀文敏ウイメンズクリニック」の開院を知らせる記事が載ってるのを偶然目にしました。「この時間帯なら私でも通えるかも・・・」「やっぱり子供を生みたい」そうして私の不妊治療は始まりました。
検査の結果、卵管閉塞、および年齢からIVF(体外受精)を進められました。仕事のスタッフに「IVFを3回まで挑戦させてほしい。」と了解をとり、クリニックの最後の予約時間に間に合うように早退して通いました。一回目、二回目のIVFでは着床するも2回流産を経験。三回目は私が仕事の休みの日に採卵することにこだわったので、タイミングを逃してしまい、今回泣きの四回目のIVFで妊娠継続、現在11週で先日クリニックの卒業を迎えました。
初めてお腹の中で動いているわが子をエコーで見たときはうれしさと感動とを感じ、涙が止まりませんでした。
もし、あの時古賀先生に出会わなければ、妊娠も私には関係ないものだったと思うと運命を感じずにはいられません。来年41歳で出産予定です。
仕事を続けての治療は大変ですが、古賀文敏ウイメンズクリニックなら可能だと思います。職場の理解も必要です。この時代だから望める治療はいろいろあると思います。
私は古賀先生に出会え、「妊娠」することが出来たこと、いままでと違う人生を歩めることを心から感謝しています。
最後に、先生、ものすごくわがままな患者でしたが、いつも優しく対応していただき、そして励ましていただき、本当にありがとうございました。

治療内容:

6回目の流産後、最後にこちらに賭けて、本当に良かった

不妊治療という長いトンネルに入ったかのような7年間。はじめ、「子供は結婚をすれば自然に授かるものだ」と過信していました。私はこれまでの人生において、これといった大病をしたこともなく健康に育ってきたので、なおさらそこのような気持ちがあったのだと思います。私の不育症は、妊娠から8週目の心拍停止に始まり、妊娠初期での心拍なし流産も2・3度経験し、妊娠が簡単なことではない現状を目の当たりにすることとなりました。その後、様々な検査・リンパ球移植や漢方薬などの治療を続けたものの再び流産を繰り返してしまうという最悪な結果を繰り返してしまい、私は精神的・肉体的に疲れ、子供の生めない自分を責めたりしていました。
今から一年前に旦那の転勤で福岡に来ました。住みなれない土地で不安ながらも生活を送っていた頃、旦那が「新しく開業した不妊治療の病院があるからいってみよう」と誘ってくれました。ホームページを拝見し、私と同じ状況の方が妊娠された時の体験談を読ませていただき、治療に対する前向きな気持ちにもなれ、二人で病院にお伺いすることに決めました。
古賀先生に初めてお会いした時、今までの経過をとても優しくきちんと聞いて下さり、「これまでに出会った先生方とは何かが違う」という印象を受けました。旦那も同じ印象を抱いたようで「この病院に、古賀先生にかけてみよう」「年齢のこともあるので、この病院を治療最後の病院にしよう」という気持で治療に臨むことにしました。
まず人工授精に挑戦し、妊娠することに成功しました。しかし、胎児の心拍が聞こえてくることはなく、またもや「不育症」という暗いトンネルの中に気持ちを閉じ込めてしまいました。でも当時、仕事をしていたので気持ちの切り替えもでき、長くトンネルの中に閉じ籠らずに済みましたが、しばらくは治療をお休みすることを決意しました。
半年以上経ってから病院に行くと、勝手に治療を休んでいたにもかかわらず、先生は私のことを覚えていて下さり、「待っていたよ」と迎えていただいた時は、とてもうれしい気持ちになりました。
今度は体外受精に挑戦することになりました。注射の際は看護師さんに「立派な卵ができますように」と、いつも優しく対応していただきました。ある日、看護師さんが「この前は右に注射を打ったから今日は左ね」とおっしゃったので、私は「カルテに書いてあるのですか?」とお尋ねしました。すると、看護師さんはカルテに書かれてなくても、どの患者さんがどちらの腕に注射を打ったかということまできちんと覚えている、ということを知りました。数多く患者さんがいらっしゃる中、自分のことを良く知っていていただけるということに気づき、とても嬉しかったです。
「今回もしも妊娠できなかったら・・・」という不安な気持ちと格闘し、移植の日を迎えました。移植日はなんと2008年8月8日の北京オリンピック開催の日!先生も「記念になるね」とおっしゃって下さり、妊娠への期待が高まりました。移植後は「良い方向へことが動きますように」と毎日願うばかりでした。 2週間後の判定の当日、「今日は『仏滅』!なんか嫌だな〜」と思った矢先、病院へ行く途中に接触事故を起こしてしまい、遅れて病院に行くことになってしまいました。とてもブルーな気持ちで臨んだ診察でしたが、検査の結果はなんと!「陽性」。くっきり映ったピンク色の線を見てとてもうれしくて泣いてしまいました。しかし、私には「心拍を確認できるまで…」という戦いが残っていたので、心の底からは喜ぶことができず、少しの間不安な日々を過ごすこととなりました。 7週目に無事心拍確認でき、二つの命を授かっていることを知りました。その夜は旦那と二人、エコー写真を見ながら泣きました。無事に母子手帳もいただき、11週目での卒業となりました。ここまで来れたことはまるで夢のようでした。「不育症」という長いトンネルの中で私たち夫婦は「命の尊さ」を知り、「家族が増える」という夢も叶い、今はこの小さい命を大切にしていきたい気持ちでいっぱいです。まだ妊娠初期の不安定な時期なので不安もありますが、先生に授けていただいたおなかの子供を信じていきたいと思います。
先生はじめ看護師さん、スタッフの方々には本当にお世話になりました。私はこの病院だから授かれました。本当にありがとうございました。

治療内容:

中絶のために生理がこなくなってしまって・・・

卒業というと、すごく淋しく本当は最後のゴールである出産まで面倒みてもらいたいのですが、そういう訳にはいきませんね。古賀先生との出会いは、紹介状を持って久留米大学病院に行った時からでした。もう5年位前になります。始めて先生にお会いした時のこともよく覚えています。1日何人もの患者さんを診察するのでしょうが、初診の私に一生懸命親身になって話を聞いて下さいました。症状の事は悩んでいましたが、希望を持ち、必ず治して下さる先生に出会えた!!と心から思いました。
しかし、あの頃の私は、毎日無我夢中に自分の好きなように生活する日々を送っていました。人工中絶するのも躊躇せず(ゴメンナサイ!)行っていたように思います。(本当にスミマセン)が、神様はしっかり私に罰を下しました。悩まなくてはいけない日々を迎えてしまいました。その時からです!!やっと自分の身体に向き合ったり、どうにかしなくては!とムチをいれたりしたのは!!人間としての甘さ愚かさに遅くながら気付きました。
先生、覚えていますか!通院中、原因を治しに久医大に通っていたのにも関わらず、普通に生理が復活した後、妊娠判定がでて、私がその時も「堕ろします!!」と言った時の事を。先生は厳しくおっしゃいました。「僕には出来ない。毎日何人もの必死に子供を欲しがる方々のお手伝いをしてるのに、そんなことは出来ない!」と。が、私はしつこくどうしてもその場を離れず・・・。先生のおっしゃっている事は勿論当然の事なのですが・・・。そして、午後の診察、再び先生の元へ出向きました。その時の先生の一言は「じゃあ次、・・・さんが子供をつくる時のお手伝いなら僕がしよう」と。少しホ〜ッと。そして数日後、他の病院で処置(中絶)は済ませましたが、案の定、先生の予想通り!生理が来ないどころか癒着が拡大してしまい、またまた先生〜!!と嘆き、頼って大学病院→現在の古賀文敏ウイメンズクリニックに!!勝手な理由で自分の体、子供を犠牲にし、都合よく生きてた自分。許す事ができません。それからは寝ても覚めても反省と後悔の毎日。でもそんな時でも先生は、相変わらず医者の神様。悔やんでる私に、いつも前向きに「過去を振り返っててもしようがない。今できる事からやっていこう!!」と。先生の一言は、常に本気で向き合って下さる励みの薬となり、いつも勇気づけられました。又ある時は、意外と大胆な事をするわりには小心者の私。そんな私なんで、余計な事を考えるのも人一倍。だから先生の何気ない言葉に何度救われた事か。先生の一言は魔法の薬!!
1人1人の患者さんの事を思い、それぞれに合った治療法を考えて下さる信頼できる先生。そんな先生に出会えたのは初めてだったし、これからも古賀先生の右に出る方は現れないと思います。
そして、いよいよ胚盤胞移植に向けてスタート!!鼻のスプレー、スプレキュア開始。毎日の注射通い。卵採り。その時もたくさんの手をかけさせました。毎日涙、涙の日々。そんな時主人が言います。「古賀先生を信じたら大丈夫!」「だから、自分達も頑張ろう!!」と。「そして子供ができたら、2人で喜び涙しよう!!!」と。だけど、受精した写真を見ても涙。胚盤胞移植時、なかなか入りにくいお腹に向かう先生の真剣さに涙。看護師さんの励ましの言葉に涙。目指すは赤ちゃんが欲しいという事なのですが、その頃は、今回のが失敗しても又、次にチャレンジしようという気持でいようと言い聞かせてたので、1つ1つの過程や成功に感動し、やはり涙。涙。先生には、ただただ感謝の気持ちでした。 術後も「先生有難うございました」と思うだけで、涙が止まりませんでした。(先生、以前も言いましたが、誤解しないで下さいね。赤ちゃんを授かる可能性があるんですもの〜痛い!と思って泣いた事は1度もありませんから〜!)心の中は毎日祈りの日々。
11/7尿検査陽性??!ま・さ・か?主人とほっぺたをつまみ合い、涙!!!
11/11ふくろの確認。11/18心拍の確認。喜んでいいんですねー!思いが通じたー!そして無事今日を迎えています。先生!!有難うございました!!まだまだ試練はあると思いますが、赤ちゃんの為にも、今までお世話になった先生の為にも私達頑張ります。あとは、いつも主人と2人で限界を決めず、2人の思いがあれば必ず何だってできる!!と信じ、それを行動していきます。
先生、今私達は幸せです。そして先ずは多くを望まず、1人の子供を元気に産みたいです。でも、もし、もし・・・夢が叶ったら、その時は2人目をお願いしていいですか!で、月日が経ち、30年後・・・私の子供が赤ちゃんを欲しい時診察してくれますか!
最近命の尊さを通じ、色んなものに目を向かせ、関心を示しています。そしてこの気持ちは周りの皆にも伝えていくつもりです。先生のお力を待っている方はたくさんいらっしゃいます。その方々にも喜んでもらえるよう、卒業しても応援しております。
最後になりますが、毎回の深い愛情の込もったお言葉・ご指導、先生の技術力、一生忘れません。有難うございました。これからのご活躍をお祈り致しまして、感謝の言葉で終わらせて頂きます。

治療内容:

不妊治療を経験して

数年前、子宮ガン検診にひっかかりレーザー治療をしたのち、当時担当の先生から「この先、子宮の状態がどのように変わっていくか保証のない事だから、子供を望んでいるなら早いうちに検討されたほうが・・・。」とアドバイスをいただき、結婚して2年、子供を授かっていなかった私は、卵管造影検査を受けることにしました。2度の検査の結果、左右両方の卵管とも入口のところでピシャリと道がふさがれており、完全なる卵管閉塞・・・精子と卵子が出逢えず、体外受精でしか妊娠の可能性がないことがわかりました。その事実を知ったとき私が思ったことは‥‥‥ドラマみたいに旦那さんに「赤ちゃんができたみたい♪」と、ある日突然打ち明ける・・・というシチュエーションは私の人生にはなく、旦那さんにもそういったサプライズは味わわせてあげられないんだなあ・・・というものでした。それと同時に、同じように様々な不妊原因を抱えている人たちを思うと、「自分が不妊症であり、この様な体であることは決して恥ずべき事ではなく、堂々とこれからの人生を真剣に考える時期がきたのだな。」とも思いました。主人に話すと、「体外受精をしても子供はほしい。」とのことだったので、私は不妊治療をお願いすることにしました。
そして大学病院で3人おられた不妊外来の先生の中で、私の治療を担当していただいたのが古賀先生でした。先生の説明はとても丁寧で、こちら側のココロの状態・想いをひとつひとつ把握しながら話を進めていってくださるのがよく解り、安心して質問や考えを伝えながら治療をスタートすることができました。1回目の体外受精は、採卵受精卵となった段階で卵の成長があまり思わしくなかったけれど、お腹の中に戻してもらい、2週間着床の結果を待ちました。答は残念ながら・・・でした。妊娠していなかった事実よりも、自分のお腹の中で、たとえ小さな小さな「卵」という存在でも、「命」を守りきれなかった事がその子に対し申し訳なく、可哀想でたまりませんでした。私にとってその受精卵は、2週間のあいだに、我が子として大きく膨れあがった存在だったのです。このとき「体外受精にチャレンジしよう!」と決意した時の何倍も、「母親になりたい!!」という想いがこみ上げてきたことをはっきりと覚えています。必死にこらえようとする涙を止められずにいる私に、「今回の受精卵が着床に到らなかったのは、お母さんの子宮に問題があるのではなく、卵に何らかの染色体異常がおこったからでしょう。」と話してくださいました。 そして今回の結果が、決して絶望することではないことも、ゆっくりと私の心が落ち着くまで話してくださいました。次回またチャレンジすることを胸に、大学での先生の治療は終わり、2度目は「古賀ウイメンズクリニック」での治療再開となりました。2度目の治療も残念な結果に終わり、同じように我が子を亡くしたような気持ちになりましたが、不思議と目の前には光が差していて、「また次に望もう!」という気持ちをもてました。先生・助産婦さん・看護師さん・受付のスタッフの方々・・・病院を包むすべての雰囲気が、そういう思いにさせてくれたのだと思います。「温かく・優しい」この病院におとずれた人はたいてい持たれる印象なのではないかと思います。
2度目と3度目の治療の間に、病院で開かれたセミナーにも参加させていただき、「命の誕生」というものがどれほど奇跡的なことなのかを改めて教えていただきました。多くの受精卵は出産に到るまでに何らかの染色体異常をきたし、消えていってしまうこと。
染色体に異常を持ちながらも、この世に生まれてくることのできた赤ちゃんなどは、生命力が強く、神様に守られた宝物のような存在であることをしっかりと理解することができました。このような知識を持ったうえでその後の治療に望めたことは、私にとってとてもプラスだったと思います。3度目、前回の採卵時に凍結していた凍結卵を移植していただき、無事妊娠することができました。心からの幸せを感じました。
今私は幸いにも、自分の腕に元気な男の子を抱くことができています。妊娠中、知人がふたり流産しました。それも8ヶ月というかなりの後期になって・・・。思い出す度、身につまされる想いです。このホームページで、他の人のいろいろな体験を読ませていただいても胸にこみ上げるものがあります。
私は不妊治療をとおして、命を授かることも奇跡なら、無事に生まれてくるということも本当に凄いことで、そして自分達の歳まで元気に過ごせていること全てが、感謝に値することなのだと実感しました。
同じように赤ちゃんを授かることが難しく、いろいろな想いを抱いているどなたかに、私の体験でも何かの励みになれればな・・・と思い、メールさせていただきました。