古賀文敏ウイメンズクリニックKOGA FUMITOSHI WOMEN’S CLINIC

患者様からのお便りを集めました

患者様の声は、当クリニック宛にいただいたお便りを集めたもので患者様の体験談です。 患者様の声をお読みになって当クリニックへお越し下さる方が沢山いらっしゃいます。 また、当クリニックのスタッフもお寄せいただいたお便りに日々励まされております。

7回の流産を乗り越えて」は、 院長が当クリニックを開業するに至った原点とも言える方からお寄せいただいた体験談です。ぜひお読みください。

なお、「患者様の声」は随時募集しています。こちらからお寄せください。

治療内容

治療内容:

中絶のために生理がこなくなってしまって・・・

卒業というと、すごく淋しく本当は最後のゴールである出産まで面倒みてもらいたいのですが、そういう訳にはいきませんね。古賀先生との出会いは、紹介状を持って久留米大学病院に行った時からでした。もう5年位前になります。始めて先生にお会いした時のこともよく覚えています。1日何人もの患者さんを診察するのでしょうが、初診の私に一生懸命親身になって話を聞いて下さいました。症状の事は悩んでいましたが、希望を持ち、必ず治して下さる先生に出会えた!!と心から思いました。
しかし、あの頃の私は、毎日無我夢中に自分の好きなように生活する日々を送っていました。人工中絶するのも躊躇せず(ゴメンナサイ!)行っていたように思います。(本当にスミマセン)が、神様はしっかり私に罰を下しました。悩まなくてはいけない日々を迎えてしまいました。その時からです!!やっと自分の身体に向き合ったり、どうにかしなくては!とムチをいれたりしたのは!!人間としての甘さ愚かさに遅くながら気付きました。
先生、覚えていますか!通院中、原因を治しに久医大に通っていたのにも関わらず、普通に生理が復活した後、妊娠判定がでて、私がその時も「堕ろします!!」と言った時の事を。先生は厳しくおっしゃいました。「僕には出来ない。毎日何人もの必死に子供を欲しがる方々のお手伝いをしてるのに、そんなことは出来ない!」と。が、私はしつこくどうしてもその場を離れず・・・。先生のおっしゃっている事は勿論当然の事なのですが・・・。そして、午後の診察、再び先生の元へ出向きました。その時の先生の一言は「じゃあ次、・・・さんが子供をつくる時のお手伝いなら僕がしよう」と。少しホ〜ッと。そして数日後、他の病院で処置(中絶)は済ませましたが、案の定、先生の予想通り!生理が来ないどころか癒着が拡大してしまい、またまた先生〜!!と嘆き、頼って大学病院→現在の古賀文敏ウイメンズクリニックに!!勝手な理由で自分の体、子供を犠牲にし、都合よく生きてた自分。許す事ができません。それからは寝ても覚めても反省と後悔の毎日。でもそんな時でも先生は、相変わらず医者の神様。悔やんでる私に、いつも前向きに「過去を振り返っててもしようがない。今できる事からやっていこう!!」と。先生の一言は、常に本気で向き合って下さる励みの薬となり、いつも勇気づけられました。又ある時は、意外と大胆な事をするわりには小心者の私。そんな私なんで、余計な事を考えるのも人一倍。だから先生の何気ない言葉に何度救われた事か。先生の一言は魔法の薬!!
1人1人の患者さんの事を思い、それぞれに合った治療法を考えて下さる信頼できる先生。そんな先生に出会えたのは初めてだったし、これからも古賀先生の右に出る方は現れないと思います。
そして、いよいよ胚盤胞移植に向けてスタート!!鼻のスプレー、スプレキュア開始。毎日の注射通い。卵採り。その時もたくさんの手をかけさせました。毎日涙、涙の日々。そんな時主人が言います。「古賀先生を信じたら大丈夫!」「だから、自分達も頑張ろう!!」と。「そして子供ができたら、2人で喜び涙しよう!!!」と。だけど、受精した写真を見ても涙。胚盤胞移植時、なかなか入りにくいお腹に向かう先生の真剣さに涙。看護師さんの励ましの言葉に涙。目指すは赤ちゃんが欲しいという事なのですが、その頃は、今回のが失敗しても又、次にチャレンジしようという気持でいようと言い聞かせてたので、1つ1つの過程や成功に感動し、やはり涙。涙。先生には、ただただ感謝の気持ちでした。 術後も「先生有難うございました」と思うだけで、涙が止まりませんでした。(先生、以前も言いましたが、誤解しないで下さいね。赤ちゃんを授かる可能性があるんですもの〜痛い!と思って泣いた事は1度もありませんから〜!)心の中は毎日祈りの日々。
11/7尿検査陽性??!ま・さ・か?主人とほっぺたをつまみ合い、涙!!!
11/11ふくろの確認。11/18心拍の確認。喜んでいいんですねー!思いが通じたー!そして無事今日を迎えています。先生!!有難うございました!!まだまだ試練はあると思いますが、赤ちゃんの為にも、今までお世話になった先生の為にも私達頑張ります。あとは、いつも主人と2人で限界を決めず、2人の思いがあれば必ず何だってできる!!と信じ、それを行動していきます。
先生、今私達は幸せです。そして先ずは多くを望まず、1人の子供を元気に産みたいです。でも、もし、もし・・・夢が叶ったら、その時は2人目をお願いしていいですか!で、月日が経ち、30年後・・・私の子供が赤ちゃんを欲しい時診察してくれますか!
最近命の尊さを通じ、色んなものに目を向かせ、関心を示しています。そしてこの気持ちは周りの皆にも伝えていくつもりです。先生のお力を待っている方はたくさんいらっしゃいます。その方々にも喜んでもらえるよう、卒業しても応援しております。
最後になりますが、毎回の深い愛情の込もったお言葉・ご指導、先生の技術力、一生忘れません。有難うございました。これからのご活躍をお祈り致しまして、感謝の言葉で終わらせて頂きます。

治療内容:

不妊治療を経験して

数年前、子宮ガン検診にひっかかりレーザー治療をしたのち、当時担当の先生から「この先、子宮の状態がどのように変わっていくか保証のない事だから、子供を望んでいるなら早いうちに検討されたほうが・・・。」とアドバイスをいただき、結婚して2年、子供を授かっていなかった私は、卵管造影検査を受けることにしました。2度の検査の結果、左右両方の卵管とも入口のところでピシャリと道がふさがれており、完全なる卵管閉塞・・・精子と卵子が出逢えず、体外受精でしか妊娠の可能性がないことがわかりました。その事実を知ったとき私が思ったことは‥‥‥ドラマみたいに旦那さんに「赤ちゃんができたみたい♪」と、ある日突然打ち明ける・・・というシチュエーションは私の人生にはなく、旦那さんにもそういったサプライズは味わわせてあげられないんだなあ・・・というものでした。それと同時に、同じように様々な不妊原因を抱えている人たちを思うと、「自分が不妊症であり、この様な体であることは決して恥ずべき事ではなく、堂々とこれからの人生を真剣に考える時期がきたのだな。」とも思いました。主人に話すと、「体外受精をしても子供はほしい。」とのことだったので、私は不妊治療をお願いすることにしました。
そして大学病院で3人おられた不妊外来の先生の中で、私の治療を担当していただいたのが古賀先生でした。先生の説明はとても丁寧で、こちら側のココロの状態・想いをひとつひとつ把握しながら話を進めていってくださるのがよく解り、安心して質問や考えを伝えながら治療をスタートすることができました。1回目の体外受精は、採卵受精卵となった段階で卵の成長があまり思わしくなかったけれど、お腹の中に戻してもらい、2週間着床の結果を待ちました。答は残念ながら・・・でした。妊娠していなかった事実よりも、自分のお腹の中で、たとえ小さな小さな「卵」という存在でも、「命」を守りきれなかった事がその子に対し申し訳なく、可哀想でたまりませんでした。私にとってその受精卵は、2週間のあいだに、我が子として大きく膨れあがった存在だったのです。このとき「体外受精にチャレンジしよう!」と決意した時の何倍も、「母親になりたい!!」という想いがこみ上げてきたことをはっきりと覚えています。必死にこらえようとする涙を止められずにいる私に、「今回の受精卵が着床に到らなかったのは、お母さんの子宮に問題があるのではなく、卵に何らかの染色体異常がおこったからでしょう。」と話してくださいました。 そして今回の結果が、決して絶望することではないことも、ゆっくりと私の心が落ち着くまで話してくださいました。次回またチャレンジすることを胸に、大学での先生の治療は終わり、2度目は「古賀ウイメンズクリニック」での治療再開となりました。2度目の治療も残念な結果に終わり、同じように我が子を亡くしたような気持ちになりましたが、不思議と目の前には光が差していて、「また次に望もう!」という気持ちをもてました。先生・助産婦さん・看護師さん・受付のスタッフの方々・・・病院を包むすべての雰囲気が、そういう思いにさせてくれたのだと思います。「温かく・優しい」この病院におとずれた人はたいてい持たれる印象なのではないかと思います。
2度目と3度目の治療の間に、病院で開かれたセミナーにも参加させていただき、「命の誕生」というものがどれほど奇跡的なことなのかを改めて教えていただきました。多くの受精卵は出産に到るまでに何らかの染色体異常をきたし、消えていってしまうこと。
染色体に異常を持ちながらも、この世に生まれてくることのできた赤ちゃんなどは、生命力が強く、神様に守られた宝物のような存在であることをしっかりと理解することができました。このような知識を持ったうえでその後の治療に望めたことは、私にとってとてもプラスだったと思います。3度目、前回の採卵時に凍結していた凍結卵を移植していただき、無事妊娠することができました。心からの幸せを感じました。
今私は幸いにも、自分の腕に元気な男の子を抱くことができています。妊娠中、知人がふたり流産しました。それも8ヶ月というかなりの後期になって・・・。思い出す度、身につまされる想いです。このホームページで、他の人のいろいろな体験を読ませていただいても胸にこみ上げるものがあります。
私は不妊治療をとおして、命を授かることも奇跡なら、無事に生まれてくるということも本当に凄いことで、そして自分達の歳まで元気に過ごせていること全てが、感謝に値することなのだと実感しました。
同じように赤ちゃんを授かることが難しく、いろいろな想いを抱いているどなたかに、私の体験でも何かの励みになれればな・・・と思い、メールさせていただきました。

治療内容:

大学最後の体外受精の患者様より

私は4年前,自然妊娠しました。
女性でありながら女性の体の事を分かってなかった私は、妊娠したらよっぽどの事がない限り出産出来ると思っていたので流産なんて簡単にあることではないと思っていました。
ところが、妊娠初期の時、出血し、しばらくたったある日当時かかっていた産婦人科の先生から「赤ちゃんの心拍が確認できない」と言われました。頭が真っ白になりました。この前まで動いていた心臓が止まってしまったなんて・・・信じられない気持ちでいっぱいでした。

結局掻爬手術をする事になり、その後生理がなかなかこず、あっても出血がだらだら続いたりして無排卵と分かりました。それから本格的に不妊治療をする事にしました。それでもタイミングさえ合えば妊娠出来ると思っていました。
ところが治療を始め、無排卵の他に原因も出てきて、なかなか妊娠できない焦りや、この前は簡単に妊娠出来たのに、今こんなに治療をしているのになぜ妊娠出来ないのか、ただ主人との子供がほしくて、家族になりたい、そんなささやかな願いなのに・・・
頭の中は、ただただ妊娠のことばかり考えていました。そして、前回の妊娠の時、もっとこうしてれば妊娠を継続出来たかもしれない、と後悔ばかりしていました。
不妊治療では本当に心も体もダメージがあり信頼できる先生に会えることが治療にも治療の結果にも大きく関わってくると思います。中には自分の中で状況を一人で納得している先生がいらっしゃいますが、私は、先生任せの治療ではなくちゃんと分かるように説明してほしいし、不安を解消出来るように質問しやすい雰囲気の先生を求めていました。

そんな時、たまたま古賀先生が私を見てくれる機会がありました。
古賀先生の説明や、やり方に、この先生は何か違う!説明を受けてもとても安心できるし、ちゃんと分かりやすく説明していただけるし、先生の人柄なのか当時妊娠出来ない焦りや不安の真っ只中にいた私に治療への希望を感じさせてくれました。不思議と心が落ち着き何だか頑張れそう、そう思えたし、こんな先生を求めていたんだ!って一瞬で思いました。
だから無理を承知で先生に今後治療をしてもらえるようお願いしました。

たまたま先生が出張でいないとき違う先生が担当し、注射のさじ加減があわず卵が出来すぎ卵巣が腫れてしまいました。歩くのも痛いし寝ていても痛いし何よりこれによって治療を数ヶ月休まないといけないのがとても辛かったです。でも先生が戻ってこられてからは適切に処置してくれ、その後の治療も卵巣が腫れやすい私に合った治療をしてくれました。その点でも先生は、的確に治療をしてくれると思います。
その後人工授精をしていきましたが、なかなか結果が出ず、体外受精にかけようと思っていた時古賀先生がクリニックを開業するので大学病院をやめることを聞かされました。もう体外受精にかけよう、そう思っていた時でしたから先生がやめると聞かされ、正直今後どうしようか全く分からなくなりました。
後から聞かされたのですが、その気持ちを先生は察していたそうです。
先生は開業で忙しいさなか、私の為に時間を作ってくれ体外受精をしてくれたのです。
卵巣が腫れないように的確に治療をしてくださり、その1回目の体外受精で見事に妊娠出来たのです。
不妊治療を始めて2年あまり、妊娠と聞かされ本当に本当に涙が出るくらい嬉しい結果につながりました。
かつてからうらやましく見ていた産科に、はれて通えるのはとても嬉しかったのですが、前に流産をしているので妊娠期間はとても不安で、病院にもう古賀先生はいないし、又いつ心拍停止と言われないかとても神経質になっていました。
でも今度は信頼できる古賀先生が治療してくだっさったんだから大丈夫!と言い聞かせると不思議と安心して妊娠生活をおくれました。

体外受精で授かり昨年無事に出産まで至り健康な我子を抱くことが出来ました。
今まで夫婦二人だった私達に赤ちゃんが出来家族になることが出来ました。
健康な人なら結婚したら妊娠出来あたりまえの事が、こんなに幸せな事だったんだって思えます。
あの時、先生に出会えなければ、私はまだ妊娠出来てなかったかもしれません。先生に出会えて信じて治療をしてきて本当に良かったと思います。本当にありがとうございました。

治療内容:

乗り越えられた出産へのハードル

 私の初めての妊娠はまだ独身の頃。俗に言うできちゃった結婚で、何の苦労もなく妊娠し、妊娠すれば元気な我が子が抱けると思っていました。そして私は再生不良性貧血という血液の難病にかかっていて、私の妊娠、出産へのハードルはこの病気だけだと思っていました。
 実際、妊娠6ヶ月までは多少の血液の数値の低下はあったものの、妊娠経過自体は順調でした。ところが6ヶ月の終わりに突然高熱がでて、夜、時間外で産科の病棟に駆け込みました。40℃近い熱で肺炎にかかっていました。その時、診て下さったのが古賀先生でした。私は高熱がでていることで赤ちゃんは大丈夫なのか心配していましたが「赤ちゃんは小さめだけど、元気だよ」という言葉に安心しました。それからそのまま入院し、先生が主治医となり血液内科と連絡をとりながら治療にあたって下さいましたが、熱の原因が判らず、血液の状態も悪化していたことから3日後、血液内科に転科することになりました。血液内科に転科してからは、先生が血液内科の病棟までわざわざエコーの機械を持ってきて診察してくれたり、産科で診てもらった時は、血液内科の病棟まで車椅子を押して送ってくれたこともありました。良い意味で大学病院の先生らしくなくびっくりしたのを覚えています。
 事態が変わったのは血液内科に転科して5日後。下着が濡れているのに気付き、血液内科の看護師さんに急いで産科に連れて行ってもらいました。診察の結果、やはり破水で急遽産科にもどることになりました。その時点で、まだ妊娠6ヶ月の終わり。赤ちゃんがお腹の外の世界で生きるには厳しい時期でした。先生は私の赤ちゃんを助けて欲しいという希望を聞いてくれ、1日でも長くお腹にいられるように処置をしてくれました。それからはお腹の張り止めの点滴をして、毎食前お腹にモニターをつけて赤ちゃんの状態を確認しました。そして破水から3日目、妊娠7ヶ月に入った日の夕食前のモニターで先生の顔色が変わったのがわかりました。やはり赤ちゃんは危険な状態になっていました。その時の私の血液の数値も最悪で緊急帝王切開に踏み切ると出血が止まらない状態でした。輸血をしてもなぜか数値はあがりませんでした。そんな状態になっても赤ちゃんを諦められない私に先生は「このまま帝王切開をするとあなたは赤ちゃんに会えないまま死んでしまうと思う。赤ちゃんもかなり小さいから産まれて4、5日で亡くなってしまうと思う。あなたの気持ちも大事だけど、残される人達の気持ちも大事。」と目に涙を溜めて諦めることを説得されました。そして、先生の横にいた主人の顔をみて主人も同じ気持ちだとわかり諦めることを決めました。経膣分娩で赤ちゃんを取り出す事が決まり、張り止めの点滴が外され、子宮口が開きやすくなるように処置をして、赤ちゃんとの最後の夜を過ごしました。
 次の日の朝9時から陣痛促進剤を使いすぐに陣痛が始まりました。そして午後4時48分、344gの男の子が産まれました。「赤ちゃんは残念ですが」と告げられましたが覚悟はしていたので泣くのは我慢できました。出産からしばらくして分娩室で休んでいたところに出張から戻ってこられた古賀先生が来てくれて隣で他愛もない話をしてくれました。変に励ますことも慰めることもなく普通に話をしてくれた事が逆に励まされたように思いました。その後主人と2人で赤ちゃんと会い、主人の「かわいいね」の言葉でそれまで我慢していた涙がどんどん出てきてしまいました。これが3人だけで過ごした最初で最後の時間でした。出産してからも古賀先生はマメに病室に顔を出してくれて明るく接してくれました。その後、産科を退院して血液内科に移ってからも病室に顔を出してくれました。
 血液内科に移って1ヶ月位たった頃、熱の原因が結核だと判明し、今度は結核病棟に転科することになりました。幸いにも排菌していない結核だったので、病棟から産後1ヶ月検診にも行くことができました。その時も古賀先生が診てくれて「まさかパジャマでくるとは思わなかったよ〜」と冗談で笑わせてくれました。そして「結核と血液の治療が終わったらまたおいで。僕は毎日いるから」と言ってくれました。
 それから1年後、結核の投薬治療が終わり、そのまた半年後には血液の投薬治療も終わり、やっと婦人科に通えるようになりました。古賀先生とは久しぶりに会ったのに、なぜかそんな感じはしませんでした。今思えば、一番つらい時を見守ってくれていた方だったからかもしれません。
 婦人科に通い始めて血液検査をしました。先生は亡くなった赤ちゃんが小さかったのは血栓が出来ていたのかもしれない、と抗リン脂質抗体症候群を疑ってらっしゃったようでしたが、結果は陰性。たぶん抗リン脂質抗体症候群に似ている事が体の中で起こっているんじゃないか?ということで、サイレイトウという漢方薬を処方されました。
 サイレイトウを飲み始めて4ヶ月目に妊娠しましたがこの妊娠は初期流産に終わってしまいました。この流産の時も検査の結果を電話してくれ、私がちょっとした変化で電話した時も優しく対応してもらいすごく心強かったです。
 それから3ケ月体を休めて、またサイレイトウを飲み始め流産から半年後、再び妊娠しました。妊娠がわかってからはバファリンも飲み始めました。8週位までは毎週病院に通いました。6週の始めに心拍が確認できた時は「今回は9割うまくいくよ」ととても安心する言葉を言ってもらいました。そして婦人科を卒業して産科に通い始めました。ほんとはずっと古賀先生に診てもらいたかったのですが(笑)。
 産科に通い始めてからも血液の数値の低下以外はずっと順調でした。そして8ヶ月の中頃に血液の状態が悪化してきた為、入院となりました。逆子だった為帝王切開が予定されていたのですが、産科と血液内科の意見が会わず延期になったり、輸血したのに血液の数値があがらず中止になったりと手術日が二転三転する中、時々不妊治療で病棟にみえる古賀先生に会って不安を聞いてもらうと不思議と心がスーッと楽になりました。
 結局、36週6日という1日だけ早産となりましたが2,234gの小さいけど、元気な女の子を出産しました。出産後、古賀先生も病室に来てくれて「おめでとう」と言ってくれました。それは古賀先生の口から聞いた初めての「おめでとう」でした。誰の「おめでとう」よりも1番うれしかったです。ここまでいろいろあったけど、頑張ってこれたのは古賀先生と支えてくれた家族と空に帰っていった赤ちゃんのおかげだと思います。あの時の主治医が古賀先生じゃなかったら・・・流産を繰り返して子供を産むことをあきらめていたかもしれません。あの初めての妊娠で古賀先生に出会えてほんとに良かった。
 長女を出産して1年3ヶ月。再び古賀先生のお世話になります。先生の心の込もったステキなクリニックで。

治療内容:

7回の流産をのりこえて

私は、古賀文敏先生にお会いするまでに7回の流産を繰り返していました。原因は、わかりません。妊娠をしたら出産するということがあたり前だと思っていた私は、最初の子を流産したときにひどいショックを受けました。はじめての妊娠に夫婦で大喜びしたのもつかの間、まだ心拍が見えはじめてきたほんの初期で、急にお腹が痛くなり、その激痛と共に胎児は外に出てしまいました。小さな小さなほんとに小さな赤ちゃんは私の手のひらの上でまだあたたかく本当に悲しかった。しばらくは外にも出たくなく、外に出て妊婦さんを見ると腹が立ち、どうして自分がこんな悲しい目にあうのだろう、あのとき無理をしたのがいけなかったんだ。と自分をせめる日々でした。14年前のことです。

それから二度妊娠しましたが、胎児が大きくならず、心拍も消え流産を繰り返しました。三度も続いたということは何か原因があるのかもしれない。と大学病院を紹介され、様々な検査を受けました。中には痛い検査(卵管に油のようなものを通す検査)もありましたが、何かわかればという思いで、歯をくいしばってがまんしました。でも、検査にひっかかるような原因はみつからず、これは流産にきくかもしれない、似たような人が流産をくいとめられた、というような薬や治療を段階的に試すことになりました。夫の血清を注射したり、ステロイド剤を(プレドニンでしたでしょうか?)飲み続けて顔がパンパンにはれていたこともあります。サイレイトウなどの漢方薬や小児用のバファリンで、血栓を作らないようにしたりしました。7回目の妊娠のときは血液をサラサラに保つため、ヘパリンを点滴で24時間打つために、入院をしました。

しかし、いつものように7週か8週目に、心拍が見えなくなり、胎児の袋の大きさも大きくならず、残念ですが流産です。と言われてしまいました。主治医の先生からは、あとの治療としては、ガンマーグログリン投与という方法もあるが、この大学病院ではできないこと、治療には保険がきかず、100万単位でお金がかかることを知らされました。大阪の病院で治療ができるから、そこを紹介しよう。と言われました。

自分の中では認めたくなかったけど、私にはもう方法がないんだなぁと思いはじめました。せっかく妊娠しても、それを継続させる方法がないんだなぁと少しずつ思いはじめました。夫と二人だけの人生を送ることも考えはじめました。治療に行くのもしばらく休み、二人で旅行に行ったり、おいしいものを探して遠くまで食べに行ったり、オールナイトの映画をみたりして少し楽しみました。

二年くらい大学病院に行くのをお休みしていたけれど、やはり自分たちの子どもが欲しいという思いはあり、また大学病院に行くことにしました。今までの主治医の先生は退局され、新しい先生がおみえでした。それが古賀文敏先生です。新しい先生はどんな方だろうという不安もありましたが、お話しするうちに、そんな不安も消えてしまいました。誠実な方で、私たち夫婦にとてもわかりやすく丁寧にお話をしてくださいました。体外授精をお願いすることになり、たくさんの筋肉注射や鼻からのお薬がはじまりました。注射は毎日打たないといけないのですが、仕事を持っている私のために先生は、病棟にお願いしてくださり、夕方、仕事が終わって病棟の看護婦さんに打ってもらいました。古賀文敏先生のクリニックが、夜8時30分までとの案内を見て、そこにも先生のおやさしいお人柄が出ていると思いましたし、仕事を持つ者には、本当にありがたいことだと思います。

卵割もうまくいきそうで、お腹にもどしましたが、結局妊娠にはその時は結びつきませんでした。夫と二人で、本当にがっかりして、しばらく、また治療はあきらめて、旅行などをします。と言った私たちに、先生は、『チャンスがあるうちにもう一度やりましょう。』と言ってくださり、年齢が上がるにつれて、流産率はますます上がっていく現実も見せてくれました。『チャンスがあるうちにもう一度やりましょう。』という古賀先生のこの言葉がなかったら今の私たちの幸せもなかったと思います。おだやかな先生が、この言葉をおっしゃったときは、とても力強くおっしゃり、私も夫も、納得し、三ヶ月後に次の体外授精の準備をはじめました。

採卵して、受精させ、うまく卵割していますよ。とお電話をいただきました。お腹に卵を戻したときは全く痛みを感じませんでした。その日は大雪が降っていて、しかもおおみそかの日です。そんな日にでも、私たちのために病院に来てくださった古賀先生に感謝をしていると、先生は『今年最後の体外授精やね。』と笑って言ってくださいました。

お腹に戻して10日すぎたころに、少し出血しました。生理になってしまった、またうまく着床しなかったんだ。と大学病院に伺いました。しかし、判定はなんと妊娠成立です。かっがりして行っていた私に、本当にびっくりするような判定でうれしかったです。しかし同時に不安な気持ちもあります。今まで何度も何度も流産してきましたから。流産をすると、幸せの絶頂からまっさかさまに落とされたようなそんな気持ちになります。もちろん体も傷つきますが、心はズタズタでそこから回復するまでに本当に時間が必要です。だから、妊娠したらとてもうれしいのですが、同時にちゃんと胎児の袋は大きくなっていくだろうか、心拍はみえるだろうか、と考えてしまいます。手ばなしで喜ぶと、だめになったときのショックが大きいから少し心に予防線をはるようにしていました。それともう一つ、今まで、流産をくいとめるためにありとあらゆる治療をしてきたから、今回はどうなるのかな。と思っていました。前回の7回目の妊娠では、入院をすぐにして、ヘパリンの点滴をしましたから、古賀先生に、入院のことをおたずねすると、『入院はしなくていいよ。ヘパリンも打たなくていいと思う。普通の妊婦さんと変わらないよ。』この言葉が、どれだけうれしく、私の心をいやしてくれたかしれません。ホッとして、喜びが、こみ上げてきました。処方されたのは、漢方薬のサイレイトウと、バファリンだけ。おそらく点滴生活が明日からはじまると覚悟していましたので、とても心がほっかりなりました。

病院には毎週通わせてもらうようにしました。少しずつ大きくなる袋、その袋が二つ見えて、双子だとわかり、またうれしく、そして、心拍も見えました。今まで、胎児の姿をエコーで見る前に流産していたけれど、今回は、一人の子がねんねしていて、一人の子は、動いている様子も見え、とても感動しました。最初の関門の、いつも流産した7〜8週もクリアでき、とてもうれしかったです。先生から『そろそろ母子手帳ももらわんといかんね。双子だから2冊だね。』と言われ、まるで夢のようでした。毎回、エコーの写真をいただきました。それは、今、一冊のアルバムになって、大事な大事な私の宝物になっています。

10週くらいになり、古賀先生から『そろそろ婦人科も卒業やね。次からは産科で見てもらうようにしよう。』と言われました。大学病院では、婦人科と産科がとなり同志で、婦人科に通う私には、どれだけ産科に通う妊婦さんがうらやましかったかしれません。古賀先生からはなれて、新しい先生にみていただくことも、少しさみしくありましたが、喜びも大きかったです。胎児も順調に育っていきましたが、13週目、夜中に突然大出血をしました。血のかたまりのようなものが出てきて、ショックで気が動転している私を夫が病院に運んでくれました。その日の当直の先生は古賀先生でした。先生のお顔を見て、私は少し安心しました。出血は続いていましたが、胎児は無事だとわかり、即入院をすることになりました。数日後、出血の原因は、胎盤と卵膜のずれのすき間に血液がたまっていたことがわかり、破水ではないことで、少し安心しました。それでも、祈るような気持ちで、安静を心がけました。

その後、出血もとまり、お腹も徐々にふくらみ、腹帯を婦長さんにまいてもらったり、今まで夢のようだった赤ちゃんの心拍をお腹の上のエコーできくこともできました。安定期に入り、症状も落ちついているから、退院をいろんな先生にすすめられました。古賀先生にそのことを夫と相談してみたら、『僕は、入院を続けていた方が、いいと思う。』と、他の先生と違うことをおっしゃいました。私たちは、迷わず、古賀先生がおっしゃったように入院を続けました。安定していたと思っていましたら、30週目くらいからお腹のはりがひんぱんになり、32週目で破水をしてしまい、緊急帝王切開で無事出産をしました。あのまま、退院をしていたら、無事に出産できただろうか。と思うと、古賀先生に、また助けられた思いです。

『チャンスがあるうちにもう一度やりましょう。』という先生の言葉にはじまり、大出血のときに、偶然にも先生が当直で、双子の命を守ってくださったこと、そして、退院よりも、入院を続けることをすすめてくださったこと、私たち夫婦にとって本当に古賀先生は、大げさでなく神様以上の存在です。感謝の気持ちでいっぱいです。流産をくり返し、あきらめかけていた私たちに、子どもたちをさずけてくださいました。

小さな私たちの赤ちゃんたちは、しばらくNICUに入院していましたが、退院後もすくすくと大きく育ってくれています。『おかえりぃー』という言葉を覚えて、夫が帰宅すると、パタパタと二人で廊下をヨチヨチと走っていってかけよっていきます。小さなくつ下をせんたくしたり、今までさけて通っていた子ども服売場では、かわいらしい洋服をみつけて、二人に着せています。

古賀先生に、『どうして今回は妊娠が継続したのでしょうか。』とおたずねしたことがありますが、先生にも、わからないし、今までなぜ流産をくり返したのかもわかりません。とおっしゃいました。でも一つたしかなのは、先生の誠実さと、もちろん先生のすばらしい医療の知識や技術と、そこに私たち夫婦が信頼を重ねていた、ということです。先生、どうぞ、これからも、お元気で。そして、私たちのような患者さんを、どうぞ助けてさし上げてください。そして、本当にありがとうございました。

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