古賀文敏ウイメンズクリニックKOGA FUMITOSHI WOMEN’S CLINIC

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治療内容

治療内容:

7回の流産をのりこえて

私は、古賀文敏先生にお会いするまでに7回の流産を繰り返していました。原因は、わかりません。妊娠をしたら出産するということがあたり前だと思っていた私は、最初の子を流産したときにひどいショックを受けました。はじめての妊娠に夫婦で大喜びしたのもつかの間、まだ心拍が見えはじめてきたほんの初期で、急にお腹が痛くなり、その激痛と共に胎児は外に出てしまいました。小さな小さなほんとに小さな赤ちゃんは私の手のひらの上でまだあたたかく本当に悲しかった。しばらくは外にも出たくなく、外に出て妊婦さんを見ると腹が立ち、どうして自分がこんな悲しい目にあうのだろう、あのとき無理をしたのがいけなかったんだ。と自分をせめる日々でした。14年前のことです。

それから二度妊娠しましたが、胎児が大きくならず、心拍も消え流産を繰り返しました。三度も続いたということは何か原因があるのかもしれない。と大学病院を紹介され、様々な検査を受けました。中には痛い検査(卵管に油のようなものを通す検査)もありましたが、何かわかればという思いで、歯をくいしばってがまんしました。でも、検査にひっかかるような原因はみつからず、これは流産にきくかもしれない、似たような人が流産をくいとめられた、というような薬や治療を段階的に試すことになりました。夫の血清を注射したり、ステロイド剤を(プレドニンでしたでしょうか?)飲み続けて顔がパンパンにはれていたこともあります。サイレイトウなどの漢方薬や小児用のバファリンで、血栓を作らないようにしたりしました。7回目の妊娠のときは血液をサラサラに保つため、ヘパリンを点滴で24時間打つために、入院をしました。

しかし、いつものように7週か8週目に、心拍が見えなくなり、胎児の袋の大きさも大きくならず、残念ですが流産です。と言われてしまいました。主治医の先生からは、あとの治療としては、ガンマーグログリン投与という方法もあるが、この大学病院ではできないこと、治療には保険がきかず、100万単位でお金がかかることを知らされました。大阪の病院で治療ができるから、そこを紹介しよう。と言われました。

自分の中では認めたくなかったけど、私にはもう方法がないんだなぁと思いはじめました。せっかく妊娠しても、それを継続させる方法がないんだなぁと少しずつ思いはじめました。夫と二人だけの人生を送ることも考えはじめました。治療に行くのもしばらく休み、二人で旅行に行ったり、おいしいものを探して遠くまで食べに行ったり、オールナイトの映画をみたりして少し楽しみました。

二年くらい大学病院に行くのをお休みしていたけれど、やはり自分たちの子どもが欲しいという思いはあり、また大学病院に行くことにしました。今までの主治医の先生は退局され、新しい先生がおみえでした。それが古賀文敏先生です。新しい先生はどんな方だろうという不安もありましたが、お話しするうちに、そんな不安も消えてしまいました。誠実な方で、私たち夫婦にとてもわかりやすく丁寧にお話をしてくださいました。体外授精をお願いすることになり、たくさんの筋肉注射や鼻からのお薬がはじまりました。注射は毎日打たないといけないのですが、仕事を持っている私のために先生は、病棟にお願いしてくださり、夕方、仕事が終わって病棟の看護婦さんに打ってもらいました。古賀文敏先生のクリニックが、夜8時30分までとの案内を見て、そこにも先生のおやさしいお人柄が出ていると思いましたし、仕事を持つ者には、本当にありがたいことだと思います。

卵割もうまくいきそうで、お腹にもどしましたが、結局妊娠にはその時は結びつきませんでした。夫と二人で、本当にがっかりして、しばらく、また治療はあきらめて、旅行などをします。と言った私たちに、先生は、『チャンスがあるうちにもう一度やりましょう。』と言ってくださり、年齢が上がるにつれて、流産率はますます上がっていく現実も見せてくれました。『チャンスがあるうちにもう一度やりましょう。』という古賀先生のこの言葉がなかったら今の私たちの幸せもなかったと思います。おだやかな先生が、この言葉をおっしゃったときは、とても力強くおっしゃり、私も夫も、納得し、三ヶ月後に次の体外授精の準備をはじめました。

採卵して、受精させ、うまく卵割していますよ。とお電話をいただきました。お腹に卵を戻したときは全く痛みを感じませんでした。その日は大雪が降っていて、しかもおおみそかの日です。そんな日にでも、私たちのために病院に来てくださった古賀先生に感謝をしていると、先生は『今年最後の体外授精やね。』と笑って言ってくださいました。

お腹に戻して10日すぎたころに、少し出血しました。生理になってしまった、またうまく着床しなかったんだ。と大学病院に伺いました。しかし、判定はなんと妊娠成立です。かっがりして行っていた私に、本当にびっくりするような判定でうれしかったです。しかし同時に不安な気持ちもあります。今まで何度も何度も流産してきましたから。流産をすると、幸せの絶頂からまっさかさまに落とされたようなそんな気持ちになります。もちろん体も傷つきますが、心はズタズタでそこから回復するまでに本当に時間が必要です。だから、妊娠したらとてもうれしいのですが、同時にちゃんと胎児の袋は大きくなっていくだろうか、心拍はみえるだろうか、と考えてしまいます。手ばなしで喜ぶと、だめになったときのショックが大きいから少し心に予防線をはるようにしていました。それともう一つ、今まで、流産をくいとめるためにありとあらゆる治療をしてきたから、今回はどうなるのかな。と思っていました。前回の7回目の妊娠では、入院をすぐにして、ヘパリンの点滴をしましたから、古賀先生に、入院のことをおたずねすると、『入院はしなくていいよ。ヘパリンも打たなくていいと思う。普通の妊婦さんと変わらないよ。』この言葉が、どれだけうれしく、私の心をいやしてくれたかしれません。ホッとして、喜びが、こみ上げてきました。処方されたのは、漢方薬のサイレイトウと、バファリンだけ。おそらく点滴生活が明日からはじまると覚悟していましたので、とても心がほっかりなりました。

病院には毎週通わせてもらうようにしました。少しずつ大きくなる袋、その袋が二つ見えて、双子だとわかり、またうれしく、そして、心拍も見えました。今まで、胎児の姿をエコーで見る前に流産していたけれど、今回は、一人の子がねんねしていて、一人の子は、動いている様子も見え、とても感動しました。最初の関門の、いつも流産した7〜8週もクリアでき、とてもうれしかったです。先生から『そろそろ母子手帳ももらわんといかんね。双子だから2冊だね。』と言われ、まるで夢のようでした。毎回、エコーの写真をいただきました。それは、今、一冊のアルバムになって、大事な大事な私の宝物になっています。

10週くらいになり、古賀先生から『そろそろ婦人科も卒業やね。次からは産科で見てもらうようにしよう。』と言われました。大学病院では、婦人科と産科がとなり同志で、婦人科に通う私には、どれだけ産科に通う妊婦さんがうらやましかったかしれません。古賀先生からはなれて、新しい先生にみていただくことも、少しさみしくありましたが、喜びも大きかったです。胎児も順調に育っていきましたが、13週目、夜中に突然大出血をしました。血のかたまりのようなものが出てきて、ショックで気が動転している私を夫が病院に運んでくれました。その日の当直の先生は古賀先生でした。先生のお顔を見て、私は少し安心しました。出血は続いていましたが、胎児は無事だとわかり、即入院をすることになりました。数日後、出血の原因は、胎盤と卵膜のずれのすき間に血液がたまっていたことがわかり、破水ではないことで、少し安心しました。それでも、祈るような気持ちで、安静を心がけました。

その後、出血もとまり、お腹も徐々にふくらみ、腹帯を婦長さんにまいてもらったり、今まで夢のようだった赤ちゃんの心拍をお腹の上のエコーできくこともできました。安定期に入り、症状も落ちついているから、退院をいろんな先生にすすめられました。古賀先生にそのことを夫と相談してみたら、『僕は、入院を続けていた方が、いいと思う。』と、他の先生と違うことをおっしゃいました。私たちは、迷わず、古賀先生がおっしゃったように入院を続けました。安定していたと思っていましたら、30週目くらいからお腹のはりがひんぱんになり、32週目で破水をしてしまい、緊急帝王切開で無事出産をしました。あのまま、退院をしていたら、無事に出産できただろうか。と思うと、古賀先生に、また助けられた思いです。

『チャンスがあるうちにもう一度やりましょう。』という先生の言葉にはじまり、大出血のときに、偶然にも先生が当直で、双子の命を守ってくださったこと、そして、退院よりも、入院を続けることをすすめてくださったこと、私たち夫婦にとって本当に古賀先生は、大げさでなく神様以上の存在です。感謝の気持ちでいっぱいです。流産をくり返し、あきらめかけていた私たちに、子どもたちをさずけてくださいました。

小さな私たちの赤ちゃんたちは、しばらくNICUに入院していましたが、退院後もすくすくと大きく育ってくれています。『おかえりぃー』という言葉を覚えて、夫が帰宅すると、パタパタと二人で廊下をヨチヨチと走っていってかけよっていきます。小さなくつ下をせんたくしたり、今までさけて通っていた子ども服売場では、かわいらしい洋服をみつけて、二人に着せています。

古賀先生に、『どうして今回は妊娠が継続したのでしょうか。』とおたずねしたことがありますが、先生にも、わからないし、今までなぜ流産をくり返したのかもわかりません。とおっしゃいました。でも一つたしかなのは、先生の誠実さと、もちろん先生のすばらしい医療の知識や技術と、そこに私たち夫婦が信頼を重ねていた、ということです。先生、どうぞ、これからも、お元気で。そして、私たちのような患者さんを、どうぞ助けてさし上げてください。そして、本当にありがとうございました。