古賀文敏ウイメンズクリニックKOGA FUMITOSHI WOMEN’S CLINIC

当院について

当院の歩み

当院がこれまで歩んできた歴史です

はじまり

急にお腹が痛くなって、救急病院に受診した時のことを想像して下さい。

待ち合いには、体調が悪そうな方がごった返していて、診察の順番はなかなか回ってきません。 急に手術が必要ということになって、レントゲン、血液検査と色々回り、手術後に戻ったお部屋はカーテンで仕切られただけの大部屋...。 1週間前の旅行で宿泊したリゾートホテルとは段違いの簡素なお部屋で、真っ暗な天井を見て過ごす夜は、ますます気分が落ち込んでしまうでしょう。

健康な人が1晩か2晩泊まるだけのホテルがあれほど快適に作られているのに、 病気になった方がずっとベッドの上で過ごさなければいけない病室は、戦時中からあまり変わっていないのかもしれません。 外来スタイルもいかに大勢診察できるかという効率主義ですが、本来ならば病気の方を動かさずに、私たち医療者がその方を囲むスタイルを構築しなければなりません。

私たち医療者が豪勢なお部屋を提供しなくても大勢の方から祝福を受けるお産の方より、 その傍らで流産して小さくなっている方にこそ、心の痛みを和らげる空間を提供すべきではないかという思いを抱えて勤務医時代を過ごしました。

2005-01新しい不妊治療クリニックの開設のために「Kプロジェクト」を開始

本来ならば妊娠を望むための治療は、未来に向かってワクワクするものであるべきなのに、実際の治療はストレスが多くて、出口の見えないトンネルのようだと称されています。 「暗闇を歩いているような気持ちでいる方に光を指す空間を提供したい。」 新たな時代の不妊治療のクリニックの形を求めて大学の建築科、有名な照明デザイナーと一緒にプロジェクトを開始しました。

当時のプロジェクト資料の一部

外来は、大きな待ち合い室以外に四つの診察室兼中待合を設け、医師・スタッフがその部屋を訪れるスタイルにしたらいいのではないか。

そのためには200坪ほど必要でした。緑に囲まれた建物を考え、その立地を久留米大学勤務時代の久留米市花畑や以前赴任していた小倉駅近くなどに探しました。

鳥栖プレミアムアウトレット近くの弥生が丘なら遠くの方も来院できるかもしれないと思い、設計図まで進めていました。

もちろん人口動態や駅の乗降客数などのマーケティングは、きちんと調査した上でのことでした。

不妊治療は広域からよりよい治療を求めて来られるとはいえ、排卵誘発の注射などで頻回の受診が必要になります。

この立地は、私の独りよがりではないかという迷いも生じていました。

2006-07当初の予定を変更して 福岡の大名サウスサイドテラスに

福岡まで視野に入れて考えた時にサウスサイドテラスを紹介され、「建物の中に通りの賑わいを」とのコンセプトに惹かれ、即決しました。2006年夏のことです。

戸建からビルのテナントに入居することに変更しましたが、その広さは67坪。それでも家賃を考えるとギリギリでした。

大名のサウスサイドテラス 店舗概要

そこから「不妊治療にこそ豊かな空間を!」というコンセプトを守って設計士や照明デザイナーと協議しました。その数は実に50回以上です。

体外受精の採卵の時、ご主人が傍に寄り添える広さの安静室を2つ確保することを優先しました。 そのため、通常の外来は診察室、内診室、注射室とカウンセリングルームを一体化させました。 スタッフのスペースをギリギリまで削ったために、院長室は机を置いたら一人しか入れないような狭さでした。

2007-05-29古賀文敏ウイメンズクリニック 開院

福岡大名のサウスサイドテラス 4Fにて 古賀文敏ウイメンズクリニックを開院しました。

大名サウスサイドテラス

とにかく、お一人お一人と真心をもって向き合いと考えました。

初めは夜8時半までの診療時間にしていたため、なかなかスタッフも揃わず、胚の培養を私一人で行うこともありました。 採卵した方の顔を思い浮かべながら大事に扱い、気持ちを込めてお腹に戻していました。

2008-08-28鈴木秋悦先生来訪

尊敬する恩師、鈴木秋悦先生が当院を来訪されました。

日本の生殖医療のパイオニアでリーダーでもある鈴木秋悦先生には、開院前から何かと気にかけて頂いていました。 開院して1年後の夏には、心配されて直接当院へお越しくださり数々の貴重なアドバイスをいただきました。 大名の料亭稚加榮で一緒に食事をしながら、「ひとりひとりを大事にした医療をおこなっていけば大丈夫」と励まされました。

2010-10-24全国のARTで妊娠率が第3位

日本産科婦人科学会の報告によると、全国のART 548施設の中で、妊娠率が第3位であることが判明しました。

他院で頻回にうまくいかなかった方を中心に行っていたARTの成績が全国3位だったことは、大きな自信となりました。 小規模の診療体制で、私自身の体力も限界に近かったのですが、 通院されている方の笑顔と後ろ姿に、励まされ、勇気づけられる日々でした。

2012-11-01院長古賀文敏が臨床遺伝専門医認定される

院長古賀文敏が、福岡の産婦人科医で7人目となる臨床遺伝専門医と認定されました。

遺伝性疾患をお持ちの方やご家族と向き合った上で治療を行うために、またそのような方々に質の高い臨床遺伝医療を提供するために、 大学時代より遺伝の勉強をはじめていました。色々な研修や試験を通して臨床遺伝専門医に認定されました。ただこの時は、出生前診断を行うことは考えていませんでした。

2012-11ART治療件数600件超える

当院で妊娠された方々の口コミで少しずつ来院される方が増え、治療件数が600件を超える頃にはスペース的に限界でした。

手帳に張り付けた切り抜きの数々

診療の合間には、より望ましい医療環境についての模索を続けていました。 メゾン・ド・吉田やセ・トレボン浄水店の雰囲気に惹かれながらも、途中で業態変更せざるを得なかった厳しさも知りました。 その頃の手帳にはブルガリホテルミラノの中庭やアマンリゾートの切り抜きを貼っていました。

おもてなし(Hospitality)という単語が、病院のhospitalから派生してできたように、ラグジュアリーホテルも本来は医療と関連しているのかもしれません。 本当の豊かさとは心の豊かさなのかもしれません。朝日新聞に掲載されていたシャネルのCEOの記事の一節にはこうあります。

『なぜならラグジュアリーというのは、何万年も前から人間が求めてきた本能であり、それは、心の豊かさを求める行為だからです。 例えば、ラスコーの絵画など(中略)ラグジュアリーとは、自分の心が安らいだり、楽しみを発見できたりする状態のことだと、私はその本質をそう捉えています。 人によっては、それが何千万もするランボルギニーの車を買うことかもしれないし、時間が空いたほんの10分間だけきれいな庭をながめることかもしれません。 見栄でもなければ、金額でもなく、その人なりの日常のベーシックな衣食住がかなって、それから、何か「ときめく」ことを見つけることがラグジュアリーです。 別の空気が流れていたり、ささやかな憧れに歩みよれたりすること、と言い換えてもいい。』

新しいクリニックのコンセプトを見つけたような気がしました。

ほぼ毎日、書きためてきた手帳たち

2014-01-04超音波専門医である古賀剛(副院長)を迎える

日本超音波医学会専門医でもある 古賀剛 副院長を迎えて、二人体制での診察を開始しました。

治療を経て妊娠することができた後も不安を抱える方々に、私たちができることは一体何なのか。 その問いに対する一つの答えが古賀剛先生をお迎えすることでした。 不妊治療のゴールは妊娠することではありません。 その先にある日々の生活を、ご家族が笑顔で過ごすことができる、それこそが大切なのだと私たちは思っています。

2014-06-19天神ルーチェにクリニック移転・胎児診断外来を開設

大名のサウスサイドテラスから、天神ルーチェにクリニックを移転し、不妊治療設備を拡充し、胎児診断外来を開設しました。

既存の不妊治療施設とは違う、新たなステージのクリニックを目指してきた私たちの気持ちを込めた、不妊治療・胎児診断専門施設が天神ルーチェ5階にて実現しました。 このクリニックの完成までに、多くの方々にご尽力いただいたことを感謝いたします。

デザインアドバイザー
GA DESIGN(イギリス)
http://thega-group.com/design/
設計
イリア(東京)
http://www.ilya.co.jp/
施工
クレアプランニング(福岡)
http://www.crea-p.co.jp/
照明改良計画
松下美紀照明設計事務所(福岡)
http://www.mikilight.com/
サイン
マイサ(福岡)
http://www.mysa.co.jp/
梁 基蘭 花スタジオ(北九州)

クリニック完成時にGA DESIGNのテリー氏と交わされた手紙

テリー・マクギニティさんへ

この度は、当クリニックに多大なる力をお貸しいただき、有り難うございました。新しく受診される患者さんが、日々「WOW!!」とびっくりされるのが嬉しくてたまりません。

私が初めてあなたのインテリアデザインに触れたのは、コンラッド東京だったと思います。 できて1週間足らずの時期に宿泊しました。東京に凄いホテルがやって来た、という報道のなかで、はじめて訪れたの時の感動は今でも覚えています。 高級なのに、私たちを拒絶しない、なにか自宅に帰ってきたようなくつろげる感覚、こんなインテリアがあって良いんだと、思いました。 その思いは、長崎・西海市のオリーブベイホテルでも同様に感じました。

西海市大島は、私のボス小田高明先生から国立小倉病院・成育センター立ち上げの際に声をかけられ、「一生の仕事にする」との決意のもと、小倉勤務前に分厚い専門書を携えて1ヶ月町立病院に赴任した場所です。 そしてホテルがリニューアルしていると教えてくれたのも西海から通っておられる患者さんでした。 いわば私の原点のようなところで、ホテル総支配人諏訪健一氏から今回のプロジェクト・オーガナイザー日永達也氏との縁をたどって、遠いイギリスのあなたと繫がることができました。

今までのお仕事と違って、医療の分野に挑むのは、抵抗があったことでしょう。 困っている方が、なんとか普通の生活をと、望まれるのが医療とすると、テリー氏の高級ホテルの分野と違うかもしれません。 でもお子さんを望まれる不妊治療においてこそ、私はあなたの力が必要と思いました。 シャネルのCEOは、ラグジュアリーとは、その人なりの日常のベーシックな衣食住が叶って、それから何か“ときめき”をみつけることだと定義されていました。 女性は本来普通に妊娠するものとの一般常識のなかで、「なぜ私だけ妊娠しないのか?」その劣等感と不安のなか、私たちのクリニックを受診されます。 そうした女性がテリー氏のインテリアに日々接し、“ときめき”を感じ、自らの身体のなかから生きる力を感じてくれたら、私にとってこれ以上うれしいことはありません。

私たちのクリニックに関わっても、建築のAWARDが取れるわけでも、経済的利益があったわけでもないと思いますが、日本、アジアの多くの女性には深く心にのこり、新しい出発の門出になっています。

本当に有り難うございました。日永氏、沖野氏を通してテリー氏に仕事をしていただいたことは、私にとって最大のプレゼントでした。あなたのインテリアのデッサンは一生の宝物です。有り難う。

古賀文敏

Dear Dr Fumitoshi Koga,

Thank you very much for the wonderful letter and gift. I was touched and humbled by your words.

It was a great pleasure to workn such a worthwhile project and I was very thankful to have been able to contribute in any small way. I hope the interiors are calming and restful and that your business has great success.

I do not think I am worthy of all your kind words but I will remember them every time I use the pen and strive harder to be that designer.

Many thanks and warm regards,

Terry