古賀文敏ウイメンズクリニックKOGA FUMITOSHI WOMEN’S CLINIC

患者様からのお便りを集めました

患者様の声は、当クリニック宛にいただいたお便りを集めたもので患者様の体験談です。 患者様の声をお読みになって当クリニックへお越し下さる方が沢山いらっしゃいます。 また、当クリニックのスタッフもお寄せいただいたお便りに日々励まされております。

7回の流産を乗り越えて」は、 院長が当クリニックを開業するに至った原点とも言える方からお寄せいただいた体験談です。ぜひお読みください。

なお、「患者様の声」は随時募集しています。こちらからお寄せください。

治療内容:顕微授精

治療内容

治療内容:

辛いときにはいつも思い出して前向きに頑張ることができました

ご無沙汰しております。おかげさまで息子も6ヶ月になり、すくすく育っております。慣れない育児で体は悲鳴をあげていますが、それと同時に幸せを噛み締めています。宝物の我が子に会えたのは院長先生を始め、副院長先生、スタッフの皆さまのおかげです。
 別の病院での治療に疲れ果て、周りは自然に妊娠をする中で藁にもすがる思いでした。以前から先生の活躍は存じ上げており気になっていましたが、人気で予約は取れないし、厳しい先生だろうなと思っており転院する勇気がでませんでした。実際は優しくて穏やかな方でした。多忙であろう中でも質問したことにもしっかり回答して頂きました。待合室もおしゃれで通院も苦になりませんでした。初診の時に「この状態なら大丈夫!3回で結果を出します。一年後に妊婦さんですよ」とおっしゃって頂き、どれだけ励まされたことか。辛いときにはいつも思い出して前向きに頑張ることができました。
 治療面でも先生におまかせすることが出来て安心でした。以前の病院では何もかも自分で選択が必要で、悩みながらの治療だったので有り難かったです。更に凄いのが流産もしましたが、移植すると毎回着床しており先生の腕が良いことが分かりました。病院によってこんなに着床率が違うなら早く先生に出会いたかったです。

子宝に恵まれずに苦しい日々でした。自分なんて生きてる価値がないと自分を責めてばかりの日々でした。今はそんなことも忘れて、我が子の寝顔を見ながら幸せな日々です。

感謝してもしきれませんが、大変お世話になりました。多忙な日々かと思いますがお身体大切にされて下さい。

治療内容:

治療の終結にあたって

古賀先生へ

この度、不妊治療を卒業することになりました。 先生の穏やかな物腰と語り口には、ずっと心救われてきました。 本当にありがとうございました。
最終目標であった「子どもを授かること」は叶いませんでしたが、 この不妊治療を通して、たくさん得たものがありました。 中でも印象に残っていることを3つほど書こうと思います。

まず1つ目は、古賀先生のところで初めての採卵をした直後、麻酔から覚めた時のことです。 目が覚めると私は号泣していました。 悲しくて、悲しくて、声を出して泣いていました。自分でも驚きました。 古賀先生のところにお世話になる前、私は九州のとある不妊治療でよく知られた病院に 2年半ほど通院していました。 その時に稽留流産をしたのですが、当時の先生のご意向で手術で処置をしていただきました。 実は流産の処置の後、心の中では悲しみでいっぱいなのに全く涙が出ずにいたのですが、 その時の悲しさが何故か、ずいぶん経ったこの時にフラッシュバックしたのでした。 採卵後の様子を見に部屋をノックして入ってきた、若い看護師さんは号泣している私を見て 最初少し困惑しているようでしたが、そのまま部屋に入ってきて膝をついて静かに私のことを 見守ってくれました。 そして、私が話し始めたことを、ただただ真剣に黙って聴いてくれました。 まだ20代半ばほどで看護師としての経験も、人生経験もそう多くはないであろう彼女に、 私は、泣きながら自分が封印してきた、抱えてきたやり場のない、誰に対してなのかも分からない憤りにも似た悲しみを話しました。 彼女は、その時の彼女の慈愛に満ちた眼差しを忘れることができません。 他の患者さんのこともあるでしょうし、時間に終われる忙しい仕事の中で、 全くそんな素振りをみせることなく、ただただ私の話を心から聴いてくれる姿勢に、 本当に救われた思いでした。

2つ目は、古賀先生に移植していただいた時のことです。 2つの胚が丁寧に移植されました。それを画面で見せていただいたのですが、 その時、胚がキラリと光って見えました。 私には、それは真っ暗な宇宙の中で光り輝く星のように見えました。 「自分の中に宇宙がある」と思いました。 その日の夕方、飼っている犬の散歩をしながらふと空を見上げると、 一番星が光って見えました。その瞬間に、私は「あ、あそこにいる!」と確信したような 気持ちになりました。 毎日空を見上げればそこにある星。その中にまだ見ぬ我が子がいると思ったのです。 それから、毎日星を見てはホッとするような嬉しい気持ちで日々を送ることができました。 そして、不思議ですが、「私はもうすでに、全てを持っている」と思えました。 子どもがいても、いなくても、私は必要なものをちゃんと全てこの自分の中に持っているんだ。そして、流産した我が子たちもこれから生まれてくるかもしれない子どもたちも、 実はこれまでも私の中にいたし、これからもいるのだと、 ただ、それに気がついていなかっただけなのだと・・・ とてもおかしなことを言っているようですが、本気でそう思いました。 結局、また稽留流産をしてしまいましたが 先生は「自然に出てくるのを待ちましょう」と静かにおっしゃっり、 その言葉も大変嬉しかったです。 私には、命がないという事実を確認して受け止めることが必要でしたし、 出てくるのを待つ時間もまた、覚悟をする上でとても大事なものでした。 そして数日後に小さな陣痛を経て出てきてくれた、プクプクとした小さなやわらかく白い塊を とても愛おしく感じました。これまた変な言い方ですが、とても幸せでした。 妊娠から流産決定までの経過は前の病院で経たものとほぼ同じでしたが、 味わったものは、それとは似ても似つかぬ、充実した素晴らしい体験でした。

3つ目は、その流産の後に再び採卵に挑戦した時のことです。 麻酔から覚めた私は、下腹に鈍痛を感じました。 「先生が頑張ってくださったんだなあ」と瞬間的に思いました。 そして、心から幸せを感じたのです。 「幸せとは、こういうことをいうんだ。子どもが生まれてくることが目標ではあるけれど、 私の目標を叶えるために、必死に取り組んでくださっている先生や看護師さんたちがいらっしゃ る。これを幸せと言わず、何を幸せというんだ。」そして「もし、成熟した卵が一つも取れていな くても、それでも私は幸せだ」と思えましたし、実際この時そうなったのですが、 残念という思いよりも、幸せを感じられた自分を嬉しく思いました。

長々と書いてしまいましたが、結局のところお伝えしたいのは、 子どもが得られたかどうか以上に 私は古賀先生の病院で頂いた宝物が、とても貴重だったということです。 きっと、授からなかった卒業生の多くもそう感じていらっしゃるのではないかと思います。 今回は、かなり時間を置いて3年半の長い眠りの中にいた胚をお腹に戻しました。 私にとっては、これが本当にラストチャンス。 自分の中で心も体もコンディションの良い時に、自分のタイミングで戻したいと思っての 決断でした。体時間を戻していただいての、チャレンジ期間。 とても楽しい時間でした。そして、自分なりに納得して治療を終えられることは 本当に本当にありがたいことだと感謝しています。

古賀先生にお会いできて、本当に良かったです。 先生の穏やかな笑顔、時々ハッと気づきを頂けるような核心をついた発言・・・ すべてが私にとって得難い、素晴らしいものでした。 まだまだ人生は続きます。自分のために使うことができる多くの時間を何に使うのか・・・ 希望を胸に次のステージに向かおうと思います。 先生も、どうぞお体を大切になさりながら、悩める女性の道案内をお願いいたします。 心からありがとうございました!

治療内容:

本当に幸せであると共に古賀先生に出会えて感謝で一杯です。

古賀先生ご無沙汰しております。おかげ様で先日可愛い女の子を出産致しました。本当に幸せであると共に古賀先生に出会えて感謝で一杯です。

25歳で結婚し、35歳で妊活を始めました。不妊の原因が主人にあると思い込んでいた私には主人のいつか出来るよという言葉になかなか不妊治療をしようと言えませんでした。しかし親戚の助言もあり福岡でも有名と言われる病院に通い始めました。私は早速卵管造影をし、主人は精液検査をしました。結果は98%奇形精子で、しかも絶対数も少なくモニター画面に1匹も精子が写っておらず、先生の話を聞いて愕然としました。しかしまだ大丈夫と言われ結局その病院で7回の顕微授精をしましたが受精卵に成らずに終わる場合も、戻しても着床する事なく、私の卵子のグレードも悪いと漢方をはじめたり、とにかく良いと言われる健康的な事は思いつく限り何でもしました。他の婦人科を受診した時には、諦めなと言われた事もあります。ただ不妊治療を始める前に自分の貯めた貯金で10回してだめだったら諦めると私の中で決めており、その10回にあと何回であるから頑張ろう諦めないと思っていました。

古賀先生の病院に行く事になったのは実は、病院自体も以前から知っていたし、古賀先生にもお会いしていたし、知人からもそこで授かったと聞いていたのですが、中々近すぎて行きにくかったのです。その頃古賀先生の病院が移転されてホームページを見て、患者様の声のページに辿り着き大泣きしました。それからすぐ連絡し、やはり予約は一杯でキャンセル待ちをし、すぐに折り返しの連絡があり、今日来れますか?たまたまその日が休みで30分後に来て下さいと言われ、あれよあれよと運命に導かれているようでした。病院に着いて今までの治療履歴を握りしめ古賀先生に診て頂きました。先生は優しい真剣な表情で話を聞いていただき3回チャンスを下さい。大丈夫です。と言って頂きました。私はそんなに簡単に言い切っても大丈夫なのか?と思いましたが藁にもすがる思いで頷きました。結果1回目の顕微授精で男の子を、2回目の顕微授精で女の子を授かりました。1回目の妊娠判定の日の古賀先生の笑顔で、赤ちゃんちゃんと出来てますよ。と言われた時は、はじめは理解できてなくて信じられませんでした。古賀先生の周りには後光が差し天使が飛んでいるようでした。そしてその後は大泣きでした。一生の中で一番泣いたと思います。主人に報告の電話をした時には泣きすぎて「出来てた」の4文字しかしゃべれませんでした。主人も良かったねと泣いていました。その足で警固神社まで歩き大泣きしながらお参りし、コーヒーショップで落ち着くためにコーヒーではなくオレンジジュースを頼んでいました。頭の中で既に母親になっていたんです。西通りをあんなに大泣きしながら歩いた人は中々いないんじゃないかと今では思います(笑)

今では2人の子育てで色々悩む事もありますが、あの日の古賀先生のお顔を思い出すと、頑張れます。何てったってやはり子ども達は可愛いです。諦めなかった自分も褒めてあげたいです。私の周りにもたくさん不妊で悩んでいる人がいます。婦人科には行きやすいですが、不妊を受け入れるにも不妊治療を始めるにも続けるにもまだまだハードルが高い部分が沢山あります。そんな人達がホームページの患者様の声のページに導かれ救われることを願っています。
古賀先生そしてスタッフの皆様本当にありがとうございました。

治療内容:

胎児診断までのフォローで安心できました

古賀先生、スタッフの皆様、お忙しい日々が続いていると思いますが、お変わりなくお過ごしでしょうか。
 昨年9月に卒業しました○○と申します。今年4月に○○gの元気な男の子を無事出産しましたので、遅くなりましたがご報告させていただきます。
 昨年5月にクリニックを初めて受診し、1回の体外・顕微授精で妊娠することができました。古賀先生に出会う前に不妊治療で有名な病院に数年通院し、タイミングから顕微授精まで進み、採卵も10回近く行い、一度心拍確認後の流産をし、精神的・肉体的にもきつい状態でした。そのとき、古賀先生のところに通院されている方のブログを拝見し、思いきって転院したいという気持ちが強くなり、運良く初診予約を取ることができました。クリニックはスタッフの皆さん優しく丁寧で、採卵や移植のときの心遣いなど今まで通っていた病院とは異なり、○○から通うのに時間はかかりましたが、通院が全く苦ではありませんでした。
 初診で先生に3回までに妊娠できるといわれ、3回はがんばってみよう、という気持ちで治療方法も先生にお任せしました。まさか1回で結果が出るとは思わず。妊娠判定のときはうれしさより驚きが大きかったです。流産の経験があるため、心拍確認後も不安が大きかったですが、先生を卒業して剛先生にお世話になれることを知り、初期ドックまで診てもらうことができ、とても安心できました。
 妊娠中も特にトラブルなく過ごし、無事出産できたのは古賀先生をはじめスタッフの皆様のお陰だと思います。
年齢的に厳しいと思いますが、2人目を望む時はまた、お世話になりたいと思います。

 最後になりますが、古賀先生、剛先生、スタッフの皆様、私たち夫婦に可愛い我が子を授けてくださり、本当にありがとうございました。先生はお休みの日もなくお仕事されて大変とは思いますが、お身体に気をつけてご自愛ください。そして、先生を頼ってくるたくさんの患者さんの願いが叶うことを心から祈っています。本当にありがとうございました。

治療内容:

夫婦の思い出の地から家族の思い出の地へ

 2017年を迎える前に先生に御礼をと思っておりましたが、すっかり遅くなってしまいました。

 今家族3人では初めての海外で年末年始を過ごしています。ここは夫婦二人で10年以上生活した思い出深い土地ですが、不妊治療を始めてから友人にも会いづらく足が遠のいていました。
福岡でいくつかクリニックを回った後、古賀先生のクリニックに通うようになったのは不妊治療を始めて1年後の妻が42歳まで後3か月という精神的にもきつい時期でした。男性不妊が原因で顕微授精をし4回目の採卵もうまくいかずに転院してきました。最初は治療の先に妊娠ができるという希望が持てずに年齢的にもあと1年が勝負でしたが、ベストを尽くしますという先生の言葉を信じて治療を続けることができました。

 転院して1回目、2回目の移植は着床せず撃沈、3回目の採卵は数が少なく受精卵が2つだけ残りましたが、グレードも1回目ほどよくありせんでした。移植の前に転勤になり、治療を続けるために福岡に残るかどうか迷っていましたが、結局私だけ関東に単身赴任して妻は一人福岡に残りました。そんな中の移植だったので妊娠を期待するどころかむしろこの先の治療を続けるべきかどうかで悩んでいました。
9月半ばに妊娠判定の受診に行った際も妊娠している気配もないので事前検査もせず、その後の治療について先生とどう話すかばかりを考えてクリニックに向かいました。診察室で先生から「おめでとうございます。妊娠しています。」と聞いた時には二人で何かの間違いが起こったのかと思ったぐらいびっくりしました。それほど妊娠しているとは露にも思わず、気配すらなくこんなことがあるのだろうかと信じられませんでした。治療をしている時には本当に前が見えない暗闇の中を手探りで進んでいて、どこに出口があるのか光すら見えない状況の中でぐるぐるしていたのが、突然日のあたる出口に出た気分でした。
 それから妊娠停止や流産にびくびくしながらも何とか無事5月に娘を出産することができました。無事出産が終わるまでは赤ちゃんがちゃんと産まれるのか心配で半信半疑でしたが、産まれたばかりの赤ちゃんを抱くとその温かみに自然と涙が出ました。

 不妊治療をしている方がすべて子供を授かる訳ではありませんが、(僕は毎回妻と一緒に通っていたので)先生のクリニックではホスピタリティや空間作りから治療に負い目を感じることなく、患者が心地よくまた必要なだけ説明を受けられるように工夫していただいていることに本当に助けられました。他のクリニックでは機械的に扱われることも多く、ただでさえ辛い不妊治療で身体だけでなく心も折れてしまいそうになることが何度もありました。治療方針や体質など向き不向きはそれぞれあるとは思いますが、これほど患者の心に沿ったクリニックづくりをしているところは他では考えられません。今は引越して関東におりますが、また治療をするなら福岡へ通院することも考えています。

 今この地でははちょうど年越しの花火が上がっています。娘・○○は7ヶ月を過ぎて離乳食も食べるようになり、すくすくと元気に育っています。この幸せがあるのは本当に先生のおかげです。ありがとうございました。2016年は私たち家族にとって大切な年になりました。最後に治療をされているすべての方がそれぞれの幸せを見つけられることを願っております。