古賀文敏ウイメンズクリニックKOGA FUMITOSHI WOMEN’S CLINIC

患者様からのお便りを集めました

患者様の声は、当クリニック宛にいただいたお便りを集めたもので患者様の体験談です。 患者様の声をお読みになって当クリニックへお越し下さる方が沢山いらっしゃいます。 また、当クリニックのスタッフもお寄せいただいたお便りに日々励まされております。

7回の流産を乗り越えて」は、 院長が当クリニックを開業するに至った原点とも言える方からお寄せいただいた体験談です。ぜひお読みください。

なお、「患者様の声」は随時募集しています。こちらからお寄せください。

治療内容:体外受精

治療内容

治療内容:

検査をしたらAMH1ng/mL以下が判明して・・・

すっかり,朝晩は冷えてくるようになりましたが,古賀先生やスタッフの皆様には,お変わりなくお過ごしのことと思います。
私は,とても幸せな気持ちで生後5か月の娘と過ごしていますが,これもすべて,古賀先生やスタッフの皆様のおかげだと心から感謝しています。

クリニックに初めて行った昨年6月のことは,今でもよく覚えています。
私は,転勤族で,昨年4月に福岡に参りましたが,福岡に来る約9か月前から治療を開始していました。
しかし,結局,実ることはなく,焦燥感でいっぱいの状態で,クリニックに向かいました。
古賀先生は,診察室で,立ち上がって,私たち夫婦を迎えてくださいました。
私は,今まで様々なドクターに診察をしていただいてきましたが,このように立ち上がって迎えてくださったドクターは初めてで,とても感激してしまいました。

その後,検査の結果,年齢のわりに卵子が少ないということが判明し,一刻も早く体外受精ということになりました。
仕事の休みの予定などもあり,8月の周期でとお願いしたのですが,その周期では,卵子の一つが早く育ちすぎてしまい,他の卵子に悪影響を及ぼす可能性が高いと説明を受け,痛い思いをして,育ちすぎた卵子をつぶしていただくこともしました。
しかし,それでもその卵子の影響なのか,ホルモンの値が芳しくないから,今周期は断念した方がいいのではと古賀先生から連絡をいただきました。
私は,一度,治療の流れをつかんでおきたいと思ったことから,「それでもお願いします。」と申し上げました。
すると,古賀先生は,「今回ダメでも,『もう私には子供ができないんだ。』と思わないって約束できるならやりましょう。」と言ってくださいました。
私は,先生の思いやりにあふれる言葉に励まされながら,また,この決断が正しかったのかどうなのかと不安に思いながらも,治療に邁進していきました。
結果,3つの卵子を採取し,3つとも受精しただけでなく,予想以上に受精卵の育ちが良かったことから,胚盤胞まで育ってから移植することになり,しかも,移植に適したものは2つだということで,古賀先生の「双子になったら○○さんが大変だけど,早く妊娠させてあげたい。」との一言で,双子でも構わないと思い,2つ移植していただきました。
それから,祈るような気持ちで過ごし,判定日の前々日に,待つことに耐え切れず,自宅で妊娠検査薬を用いて,妊娠を知りました。

実は,妊娠検査薬が陽性を示したことは,それ以前に2回あるのですが,いわゆる化学流産ということで,妊娠6週目以降は全くの未経験でした。
そのようなわけで,判定日の古賀先生やスタッフの方の「おめでとう!」という言葉に舞い上がりながらも,以後,本当にちゃんと育ってくれるのだろうかと常に不安がつきまとっていました。
しかし,週を追うごとに,胎嚢がわかり,心拍も確認でき,着床したのは1つだったことも判明し,母子手帳を交付していただき,不安はありながらも,大事に育てようと決意をして,クリニックを卒業しました。

以前に通っていた不妊治療の病院では,スタッフの人数に対して,患者が多すぎて,流れ作業のように扱われている気がして,治療は大変気分の滅入るものでした。
しかし,古賀先生やスタッフの皆様は,この治療が夫婦関係をも映し出す繊細な問題であることを理解し,相談に乗って,励ましてくださいました。
また,クリニックの作り自体が,プライバシーに配慮されています。
そんなことから,通院が全く苦になることはなく,むしろ,楽しみとさえなりました。

なにより,可愛い娘を授かることができて,その後も順調に育って,無事出産でき,母親になれたことは,私の人生にとって,かけがえのないことでした。
出産時,胸に去来したことは,この妊娠・出産に関わり,支えてくださった方々への感謝と,無防備な状態でこの世に生まれてきた娘への愛おしさでした。
それは,今までに感じたことのない気持ちでした。
本当にお世話になり,感謝の気持ちでいっぱいです。
先日,娘を連れてクリニックにご挨拶にうかがいましたが,そのときも優しく迎えてくださって,また嬉しい気持ちになりました。
また,近くに参りました時は,顔を出させていただければ幸いです。
悩める患者さんがたくさん待っているとのことですので,お体に気をつけて,ぜひ,一人でも多くの患者さんの願いをかなえていただければと思います。

治療内容:

今までたくさんきつい思いをされてきたんですね

古賀先生、スタッフの皆様へ
六月に卒業させて頂きました、○○です。
古賀先生やスタッフの皆様には、通院の際は本当にお世話になりました。
先生始めスタッフのみなさんがかけたくれた温かい言葉を、毎日思い出さない日はありません。
昨日、五ヶ月目の検診を受けて、無事に赤ちゃんは元気に育ってくれているようで、男の子という事がわかりました。 本当なら、今月先生のところでありますマタニティクラスへの参加を楽しみにしていたのですが、仕事の都合でどうしても参加できないので、こうしてメールをさせていただきました。

私は、別の不妊クリニックから転院して、初めて古賀先生にお会いした日を今でもはっきり覚えています。
心臓がドキドキしながら診察室に入ると、先生がわざわざ立って、古賀と申しますと私の目をじっと見て、「今までたくさんきつい思いをされてきたんですね」と挨拶をして下さいました。
その時、今まで誰にも話せなかった色んな思いがあふれ涙が自然と出てきました。
別の不妊クリニックに通い続けて心が折れてしまっていた私は、初めて人として接してくれる先生に出会えたと思いました。
私は、全く受精しない受精障害と言われていたので、私は女として駄目なんだとずっと心のどこかで主人にも申し訳ない気持ちをずっと持っていました。
でも古賀先生にお会いして、色々検査してみたらそんなことないと思いますよ!始めは体外受精と顕微授精を半分ずつやってみましょうとおっしゃって、なんと一回目でどちらも受精して着床までしてくれました。結果はお腹の中でうまく育たなかったけど、その時先生が、「結果は残念だったけど、今回赤ちゃんがちゃんと妊娠する力があるって教えてくれたとそう思いませんか?」と言ってくれた時、心がものすごく温かい気持ちでいっぱいになりました。
まだ小さな小さな赤ちゃんの袋を、先生は赤ちゃんと呼んでくれた事がとても嬉しく、今も写真を大切にアルバムに入れています。
先生の病院に通って、二回目の体外受精で妊娠出来たこと、今でも夢のようです。
先生が卒業の日に、「○○さんは、パワーがあったから今回このような結果に繋がったんだと思う。
やっぱり妊娠するためにはパワーがいるんですよ。一回目で諦めなかった事もパワーがあったからだと思う」とおっしゃいました。
その時は、うまく言えなかったんですが、私がこんなに毎回楽しく笑顔で通院できたのは、先生やスタッフの方たちのお陰です。だから、赤ちゃんに会いたいって本当に思いながら通うことが出来ました。
先生方たちから、たくさんのパワーを頂いたから、今の私があるんだと本当に思います。
長々となりましたが、どうしてもお礼を伝えたいと共に、今赤ちゃんがなかなか授からず苦しんでいる方たちが、少しでも古賀先生とお会い出来たらいいなと思っております。
でも、ホームページを見たら、もう初診の患者さんがたくさん待っておられるのですね。
先生やスタッフの方たちは、私たちの分までたくさんきつい思いをされるでしょうが、陰ながらずっと応援しております。お体だけはくれぐれも大切にされて下さいね。
私も、頑張って元気な赤ちゃんを産んで、古賀先生にご報告できる日を楽しみにしております。
皆さん、頑張って下さい。

治療内容:

仕事を抜けながらの毎日の通院

暑中お見舞い申し上げます。
そちらでお世話になった○○です。
先月無事に女の子を出産しました。超安産でした!
古賀先生には本当にお世話になり、感謝しきれません。

なかなか授からず不妊治療を始めて4年間、婦人科を転々とし、古賀文敏ウイメンズクリニックと出会うことができました。主人の反対がありながら、他の婦人科でやっと体外受精に何度かふみきったのですが、妊娠に至らず、年齢(40歳)と経済的にも、また、仕事をしながら不妊治療をするストレスもあり、もう諦めなければ‥と思っていたところ、最後にがんばる!つもりで古賀文敏ウイメンズクリニックにお世話になりました。
古賀先生は私の心までケアしてくれました。「不妊治療をして赤ちゃんができる人はできない人の2倍の幸せなわけではない」という言葉は、とても印象的でした。その言葉で不妊治療で盲目になっていた私はリラックスできたと思います。言われたその時は「やっぱ、そんなことない、100倍幸せなはずだ」と思っていましたが、今ではその意味がわかります。また、悪い数値も確率もきちんと楽観的なことはおっしゃらず、きちんと説明してくださり、その対処方法や薬の内容などもわかりやすく教えていただいたことは、ショックもありましたが、自分の状態もわかり、安心感がありました。
仕事を抜けながらの毎日の通院、注射も、今まで通った婦人科では、セカセカとした待合室、画一的な診察と言葉などで、とてもストレスがあったのですが、古賀文敏ウイメンズクリニックは受付の方の笑顔、看護師さんたちの元気づけてくれるやさしさ、古賀先生の私個人に対しての診察、そして雑談にとても癒されました。リラックスできたこともいい結果につながったのだと思います。採卵する卵の見極めや(生意気ですみません。でも真剣に日曜日まで診察してくださったのが本当に感動したんです。)緊張する採卵のときの手術室も音楽が流れていてリラックスできたのも感動しました。もちろん、ステキなお部屋にも。
古賀先生なら、数値が悪くても(私の場合、卵胞刺激ホルモンの値が高い)年齢がいってても、妊娠させてくれると絶対的な信頼感がわきました。
体外受精をして妊娠判定までの2週間は、過去の3回の体外受精の時とは違う、妊娠するのではないか?という感覚がありました。陽性だった時は本当にうれしく、その後心拍が見えたときは、信じられませんでした。クリニックを卒業のときは、もう通えなくなるんだと、とても寂しく感じました。

妊娠しながらの仕事での葛藤や今後の生活のこと、高齢出産で健康な赤ちゃんが生まれてきてくれるかの不安、まだ出産して2ヶ月ですが、体力勝負な育児と「2倍幸せではない」意味がわかりました。でも赤ちゃんは間違いなく幸せを運んできてくれました。孫をあきらめていた両親、体外受精に反対していた夫もデレデレです。

古賀先生、本当にありがとうございました。仕事柄、女性が多い職場なので、同じ悩みの方も多く、先生を紹介してます。
スタッフの皆様、ありがとうございました。皆様の笑顔に元気づけられました。
もうすぐ41歳になります。ダメもとで、もうひとり、がんばりたいと思っています。
来年また伺います。
本当にありがとうございました。感謝してもしきれません。
どうか、お体に気をつけて下さい。

治療内容:

仕事と治療の両立プラス高齢

結婚してから何年もなかなか授かれない、多分不妊治療が必要だとは思っていました。経営をしている立場上、どうしても時間が取れない。いろいろな病院の情報を集めましたが、時間との兼ね合いがクリアーできず、治療を受けることさえ出来ない、と子供を持つことはあきらめ、考えないようにしていました。
そんな時、ある情報誌に「古賀文敏ウイメンズクリニック」の開院を知らせる記事が載ってるのを偶然目にしました。「この時間帯なら私でも通えるかも・・・」「やっぱり子供を生みたい」そうして私の不妊治療は始まりました。
検査の結果、卵管閉塞、および年齢からIVF(体外受精)を進められました。仕事のスタッフに「IVFを3回まで挑戦させてほしい。」と了解をとり、クリニックの最後の予約時間に間に合うように早退して通いました。一回目、二回目のIVFでは着床するも2回流産を経験。三回目は私が仕事の休みの日に採卵することにこだわったので、タイミングを逃してしまい、今回泣きの四回目のIVFで妊娠継続、現在11週で先日クリニックの卒業を迎えました。
初めてお腹の中で動いているわが子をエコーで見たときはうれしさと感動とを感じ、涙が止まりませんでした。
もし、あの時古賀先生に出会わなければ、妊娠も私には関係ないものだったと思うと運命を感じずにはいられません。来年41歳で出産予定です。
仕事を続けての治療は大変ですが、古賀文敏ウイメンズクリニックなら可能だと思います。職場の理解も必要です。この時代だから望める治療はいろいろあると思います。
私は古賀先生に出会え、「妊娠」することが出来たこと、いままでと違う人生を歩めることを心から感謝しています。
最後に、先生、ものすごくわがままな患者でしたが、いつも優しく対応していただき、そして励ましていただき、本当にありがとうございました。

治療内容:

6回目の流産後、最後にこちらに賭けて、本当に良かった

不妊治療という長いトンネルに入ったかのような7年間。はじめ、「子供は結婚をすれば自然に授かるものだ」と過信していました。私はこれまでの人生において、これといった大病をしたこともなく健康に育ってきたので、なおさらそこのような気持ちがあったのだと思います。私の不育症は、妊娠から8週目の心拍停止に始まり、妊娠初期での心拍なし流産も2・3度経験し、妊娠が簡単なことではない現状を目の当たりにすることとなりました。その後、様々な検査・リンパ球移植や漢方薬などの治療を続けたものの再び流産を繰り返してしまうという最悪な結果を繰り返してしまい、私は精神的・肉体的に疲れ、子供の生めない自分を責めたりしていました。
今から一年前に旦那の転勤で福岡に来ました。住みなれない土地で不安ながらも生活を送っていた頃、旦那が「新しく開業した不妊治療の病院があるからいってみよう」と誘ってくれました。ホームページを拝見し、私と同じ状況の方が妊娠された時の体験談を読ませていただき、治療に対する前向きな気持ちにもなれ、二人で病院にお伺いすることに決めました。
古賀先生に初めてお会いした時、今までの経過をとても優しくきちんと聞いて下さり、「これまでに出会った先生方とは何かが違う」という印象を受けました。旦那も同じ印象を抱いたようで「この病院に、古賀先生にかけてみよう」「年齢のこともあるので、この病院を治療最後の病院にしよう」という気持で治療に臨むことにしました。
まず人工授精に挑戦し、妊娠することに成功しました。しかし、胎児の心拍が聞こえてくることはなく、またもや「不育症」という暗いトンネルの中に気持ちを閉じ込めてしまいました。でも当時、仕事をしていたので気持ちの切り替えもでき、長くトンネルの中に閉じ籠らずに済みましたが、しばらくは治療をお休みすることを決意しました。
半年以上経ってから病院に行くと、勝手に治療を休んでいたにもかかわらず、先生は私のことを覚えていて下さり、「待っていたよ」と迎えていただいた時は、とてもうれしい気持ちになりました。
今度は体外受精に挑戦することになりました。注射の際は看護師さんに「立派な卵ができますように」と、いつも優しく対応していただきました。ある日、看護師さんが「この前は右に注射を打ったから今日は左ね」とおっしゃったので、私は「カルテに書いてあるのですか?」とお尋ねしました。すると、看護師さんはカルテに書かれてなくても、どの患者さんがどちらの腕に注射を打ったかということまできちんと覚えている、ということを知りました。数多く患者さんがいらっしゃる中、自分のことを良く知っていていただけるということに気づき、とても嬉しかったです。
「今回もしも妊娠できなかったら・・・」という不安な気持ちと格闘し、移植の日を迎えました。移植日はなんと2008年8月8日の北京オリンピック開催の日!先生も「記念になるね」とおっしゃって下さり、妊娠への期待が高まりました。移植後は「良い方向へことが動きますように」と毎日願うばかりでした。 2週間後の判定の当日、「今日は『仏滅』!なんか嫌だな〜」と思った矢先、病院へ行く途中に接触事故を起こしてしまい、遅れて病院に行くことになってしまいました。とてもブルーな気持ちで臨んだ診察でしたが、検査の結果はなんと!「陽性」。くっきり映ったピンク色の線を見てとてもうれしくて泣いてしまいました。しかし、私には「心拍を確認できるまで…」という戦いが残っていたので、心の底からは喜ぶことができず、少しの間不安な日々を過ごすこととなりました。 7週目に無事心拍確認でき、二つの命を授かっていることを知りました。その夜は旦那と二人、エコー写真を見ながら泣きました。無事に母子手帳もいただき、11週目での卒業となりました。ここまで来れたことはまるで夢のようでした。「不育症」という長いトンネルの中で私たち夫婦は「命の尊さ」を知り、「家族が増える」という夢も叶い、今はこの小さい命を大切にしていきたい気持ちでいっぱいです。まだ妊娠初期の不安定な時期なので不安もありますが、先生に授けていただいたおなかの子供を信じていきたいと思います。
先生はじめ看護師さん、スタッフの方々には本当にお世話になりました。私はこの病院だから授かれました。本当にありがとうございました。