古賀文敏ウイメンズクリニックKOGA FUMITOSHI WOMEN’S CLINIC

患者様の声

治療内容

治療内容:

不妊治療を経験して

数年前、子宮ガン検診にひっかかりレーザー治療をしたのち、当時担当の先生から「この先、子宮の状態がどのように変わっていくか保証のない事だから、子供を望んでいるなら早いうちに検討されたほうが・・・。」とアドバイスをいただき、結婚して2年、子供を授かっていなかった私は、卵管造影検査を受けることにしました。2度の検査の結果、左右両方の卵管とも入口のところでピシャリと道がふさがれており、完全なる卵管閉塞・・・精子と卵子が出逢えず、体外受精でしか妊娠の可能性がないことがわかりました。その事実を知ったとき私が思ったことは‥‥‥ドラマみたいに旦那さんに「赤ちゃんができたみたい♪」と、ある日突然打ち明ける・・・というシチュエーションは私の人生にはなく、旦那さんにもそういったサプライズは味わわせてあげられないんだなあ・・・というものでした。それと同時に、同じように様々な不妊原因を抱えている人たちを思うと、「自分が不妊症であり、この様な体であることは決して恥ずべき事ではなく、堂々とこれからの人生を真剣に考える時期がきたのだな。」とも思いました。主人に話すと、「体外受精をしても子供はほしい。」とのことだったので、私は不妊治療をお願いすることにしました。
そして大学病院で3人おられた不妊外来の先生の中で、私の治療を担当していただいたのが古賀先生でした。先生の説明はとても丁寧で、こちら側のココロの状態・想いをひとつひとつ把握しながら話を進めていってくださるのがよく解り、安心して質問や考えを伝えながら治療をスタートすることができました。1回目の体外受精は、採卵受精卵となった段階で卵の成長があまり思わしくなかったけれど、お腹の中に戻してもらい、2週間着床の結果を待ちました。答は残念ながら・・・でした。妊娠していなかった事実よりも、自分のお腹の中で、たとえ小さな小さな「卵」という存在でも、「命」を守りきれなかった事がその子に対し申し訳なく、可哀想でたまりませんでした。私にとってその受精卵は、2週間のあいだに、我が子として大きく膨れあがった存在だったのです。このとき「体外受精にチャレンジしよう!」と決意した時の何倍も、「母親になりたい!!」という想いがこみ上げてきたことをはっきりと覚えています。必死にこらえようとする涙を止められずにいる私に、「今回の受精卵が着床に到らなかったのは、お母さんの子宮に問題があるのではなく、卵に何らかの染色体異常がおこったからでしょう。」と話してくださいました。 そして今回の結果が、決して絶望することではないことも、ゆっくりと私の心が落ち着くまで話してくださいました。次回またチャレンジすることを胸に、大学での先生の治療は終わり、2度目は「古賀ウイメンズクリニック」での治療再開となりました。2度目の治療も残念な結果に終わり、同じように我が子を亡くしたような気持ちになりましたが、不思議と目の前には光が差していて、「また次に望もう!」という気持ちをもてました。先生・助産婦さん・看護師さん・受付のスタッフの方々・・・病院を包むすべての雰囲気が、そういう思いにさせてくれたのだと思います。「温かく・優しい」この病院におとずれた人はたいてい持たれる印象なのではないかと思います。
2度目と3度目の治療の間に、病院で開かれたセミナーにも参加させていただき、「命の誕生」というものがどれほど奇跡的なことなのかを改めて教えていただきました。多くの受精卵は出産に到るまでに何らかの染色体異常をきたし、消えていってしまうこと。
染色体に異常を持ちながらも、この世に生まれてくることのできた赤ちゃんなどは、生命力が強く、神様に守られた宝物のような存在であることをしっかりと理解することができました。このような知識を持ったうえでその後の治療に望めたことは、私にとってとてもプラスだったと思います。3度目、前回の採卵時に凍結していた凍結卵を移植していただき、無事妊娠することができました。心からの幸せを感じました。
今私は幸いにも、自分の腕に元気な男の子を抱くことができています。妊娠中、知人がふたり流産しました。それも8ヶ月というかなりの後期になって・・・。思い出す度、身につまされる想いです。このホームページで、他の人のいろいろな体験を読ませていただいても胸にこみ上げるものがあります。
私は不妊治療をとおして、命を授かることも奇跡なら、無事に生まれてくるということも本当に凄いことで、そして自分達の歳まで元気に過ごせていること全てが、感謝に値することなのだと実感しました。
同じように赤ちゃんを授かることが難しく、いろいろな想いを抱いているどなたかに、私の体験でも何かの励みになれればな・・・と思い、メールさせていただきました。