古賀文敏ウイメンズクリニックKOGA FUMITOSHI WOMEN’S CLINIC

医師のご紹介

院長

院長コラム

院長 古賀文敏 が不定期に書いているコラムです

2012.01.17

2012年の幕開けです

一日の暮れもあるように、一年の暮れもある。
暮れていくのをからだに感じると、
すうっとこころが闇に溶けていくような気がします。
暮れて、闇が深くなって、あたりがすっかり静まると、
東の方から明かりがさしてきます。
朝で、一年のはじまりですね。

ほぼ日手帳ーーー「今日のダーリン」より

不測の事態に備えて非常用電源を入れたのが2009年の初め、これで突然の停電にも備えられると思ったのもつかの間でした。3月からクリニックの拡張予定での計画を練っていた折、急遽うちのビルのオーナーが代わり、東京の弁護士名義で「もう一度敷金払いなさい、さもなくば退出を要求します」という、寝耳に水のむちゃくちゃな要求で、拡張計画はおじゃんに。うちも弁護士たてて正当性を・・・リーマンショックの波が福岡にも来ているなあと思っていたら、こんな形で襲ってくるとは!!1階のテナントは福岡パルコに移転して、寂しくなっているのはご覧の通りです。春には、うちのスタッフの交通事故が続きました。そして暑かった夏が過ぎようとしていた頃、生殖医学会が不妊症施設をかなり制限するという非常にラディカルな提案をしてきました。このままでは何人もドクターがいる施設しかARTが認めらず、新設の私たちは否定されるような雲行きを感じて、私は周りの先生を巻き込んで、反対の声明を出したのが秋深まる頃でした。まだまだ結論は出ておらず、5年後ぐらいはかなり流動的です。そして冬には、私が足を痛めてしまい松葉杖の生活をしています。それもけがでないものだから、いつまで続くのかわからず・・・。(まだまだ歩けない日々で、みんなにご迷惑かけています。)

天災に備えて、準備をしていたつもりでしたが、うちの基盤がこれほどまでにもろいものかと思い知りました。でもこの不妊治療にかける思いを同じように持ってくれる医師を育てることは難しいと思っているので、いつもこうしたリスクがつきまといます。たとえ私が健康で、いいスタッフに恵まれ、クリニックが順風満帆であった場合でも同じような情熱をこの先10年もてるか、大きな課題です。プロ野球の監督のように、常に勝負の世界に身を置く立場として、この情熱がなくなれば、身を引くことが礼儀と思っています。

12月に届いた日本産科婦人科学会からの報告で、妊娠率は全国3位でした。私自身命をかけて不妊治療に注いでいると思っていたし、私が培養に直接関わるなかで、多分日本の産婦人科医で一番胚を見ているという自負もあったので、その成績は後からついてきたのだと思います。それでも妊娠率は、たかだか38.4%です。残りは、うまくいくはずだと思えた胚移植で妊娠せず、「もう限界でしょうか」と言われて、祈るような妊娠判定にもかかわらず無残な結果であったり・・・。王監督でさえも「現役時代打てないことの方が多く、つらいことばかりだった」と回顧していた気持ちは、おこがましいのですがわかるような気がします。妊娠判定の時に患者さんが私の前で見せる涙や帰院後に人知れず流したであろう涙を思うと、無力さを感じることもしばしばです。

でも慌ただしい年の瀬が過ぎ、新年を迎えると、ほぼ日手帳のひとことのように、東の方から明かりがさしてくるんです。不思議ですよね。そして私自身自由に歩けない状況のなかで、スタッフや家族に支えられながらなんとか診察を続けられることがなによりうれしいと思えています。まさに「今日も生かされている」と自然に感じられるようになってきました。プロ野球選手だったら、選手生命の危機ですから。元旦のANAの飛行機の中で聞いたドリカムの「何度でも」「ねぇ」を聞いて、目頭が熱くなったのは、このためでしょうか。こうして前を向いて進んでいる、凜とした女性をもっともっと応援したいと思いました。

今年も頑張ります。(今回はブログ風です。)