古賀文敏ウイメンズクリニックKOGA FUMITOSHI WOMEN’S CLINIC

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院長コラム

院長 古賀文敏 が不定期に書いているコラムです

2013.12.13

ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく

「結構大変なことになったのでは・・・」土曜日の夜クリニックからの帰り道に自転車で大けがした時に最初に思ったことです。自宅近くのクリーニングを引き取り、家路を急いでいた際、そのクリーニングが前輪にひっかかって、そのままロック。軽量のロードバイクはそのまま前転し、私は左手だけで支えきれず右顔面をアスファルトに強打されました。まるで体操選手のような自転車の舞でしたが、一体自分がどのぐらい傷を負っているかわかりませんでした。ただ左頬と唇から垂れてくる生暖かい血液の感触が、被害の大きさを予感させているようでした。こともあろうに翌日、エルガーラ・パサージュ広場でラ・シゴーニュ編集長の対談(http://wakaba.coara.or.jp/cg25000/blog/mommykangaroo/2013/11/)を控えていました。そしてクリニックの新しいプロジェクトに向けて大きな契約を交わしている最中でした。

「生きては、いる。」その確認後に、一つ一つ調べていきました。左頬の一部はえぐれて、前歯は少し欠けていました。その頃から感じていた左目の飛蚊症はかなり気になるようになっていました。クリーニングは、奇跡的に大丈夫でしたが、その時羽織っていたレザーのダウンはすり切れていました。買ったお店では、その時持っていたメッセンジャーバッグは直せてもダウンは無理、岩田屋の革リペア部門でも同じ質感は戻らないとのことでした。大事なロードバイクにも傷がついていました。左目は、近くの眼科医に診ていただき、網膜剥離ではないとのこと。症状は取れていないのに、先生より「良かった、大丈夫ですよ、大丈夫です。」と繰り返されたのが印象的でした。左頬は、うちの隣の聖心美容外科(今年聖心美容クリニックに名称変更)の美原先生に特殊クリームで治療していただき、年末からはトレチノインで色素沈着軽減作戦です。うまくいけば、ビフォーアフターの写真に掲載されるかも・・・(余計な刺激も与えない方がいいので、見た目は良くないのですが、テープやガーゼもとりました。何ヶ月も診察を待って頂いている初診の方にこんな顔で申し訳なく思っています。)

持ち物、そして体への外傷を確認し、最後に私のこころが気になりました。一番の心配です。でもこれは意外に大丈夫でした。3年前に松葉杖で診察が続けられた喜びのように、こんな状態でも好きな仕事ができることに安堵している自分に気がつきました。

年末に堀江貴文氏の「ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく」を読みました。私は大川出身で、彼は隣町の八女。塾は同じ全教研で、彼は附設に行き、私は付属中から愛光高校に。そして彼は模擬試験でD判定でも東大に現役合格し、私はA,B判定でも2浪しても東大文一に3回落ちてしまって・・・医者の友人のマークⅡの高級車に驚いた彼と同じような境遇であった私が、どこからかかなり違った人生を歩んでしまっていることを想起しながら、結構おもしろく読んでしまいました。彼の友人の藤田晋の「起業家」から、彼の人となりは伺いしれましたが、彼が逮捕される前の正月休みに新しい恋人を藤田氏に紹介したくだりを思い出し、センチな気分にもなりました。彼には会ったことがないけれど、とても他人には思えないのです。そんな彼が、逮捕され、全てを失った今、久しぶりに経験するゼロの境地は、意外なほどにすがすがしいと。

自転車の怪我で失ったものは小さくないけれど、引き算は止めようと思うのです。国連の明石総長に憧れて外交官、もしくは大きな都市計画に関わる仕事をしたいと思っていた夢は、かなえられませんでした。生きていく価値がないと思い、東大の発表をみた本郷から下宿先の上井草までどうやって歩いたか覚えていません。あこがれの医学部に入って喜々としている同級生と机を並べることができず、私はその年の秋再び受験したいとの思いで、いつの間にか東京にいました。確かバブルはじける前の華やかなクリスマスイブの日は、横浜港近くで寒風吹きすさぶ中、30時間ぶっ通しの短期交通量調査のバイトをしていたと思います。新宿丸井で買ったチェスターコートは、期限通りローンを払えず、ブラックリストに載ってしまったとのことでした。

刑務所の中で40歳の誕生日を迎えた堀江氏は、「今はただ働きたい」と。

「僕は失ったものを悔やむつもりはない。ライブドアという会社にも、六本木ヒルズでの生活にも愛着はあっても未練はない。なぜなら、僕はマイナスになったわけではなく、人生にマイナスなんて存在しないのだ。失敗しても、たとえすべてを失っても、再びゼロというスタートラインに戻るだけ。中略 ゼロになることはみんなが思っているほど怖いものではない。失敗して失うものなんて、たかが知れている。なによりも危険なのは、失うことを怖れるあまり、一歩も前に踏み出せなくなることだ。これは経験者として、強く訴えておきたい。」

働く先に、責任を自らが取りさえすれば本質的に自由になることを彼は明確化していました。

私はあの時確かにゼロだったかもしれません。でも命があって良かったと思います。こうして自転車事故でもちゃんと仕事ができます。決してマイナスになっていないのです。今年私たちのクリニックは、新たなプロジェクトを予定しています。もっと充実した医療と、もっとワクワクできる社会のために小さなイチを足していこうと思います。ご期待下さい。