古賀文敏ウイメンズクリニックKOGA FUMITOSHI WOMEN’S CLINIC

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治療内容

治療内容:

乗り越えられた出産へのハードル

 私の初めての妊娠はまだ独身の頃。俗に言うできちゃった結婚で、何の苦労もなく妊娠し、妊娠すれば元気な我が子が抱けると思っていました。そして私は再生不良性貧血という血液の難病にかかっていて、私の妊娠、出産へのハードルはこの病気だけだと思っていました。
 実際、妊娠6ヶ月までは多少の血液の数値の低下はあったものの、妊娠経過自体は順調でした。ところが6ヶ月の終わりに突然高熱がでて、夜、時間外で産科の病棟に駆け込みました。40℃近い熱で肺炎にかかっていました。その時、診て下さったのが古賀先生でした。私は高熱がでていることで赤ちゃんは大丈夫なのか心配していましたが「赤ちゃんは小さめだけど、元気だよ」という言葉に安心しました。それからそのまま入院し、先生が主治医となり血液内科と連絡をとりながら治療にあたって下さいましたが、熱の原因が判らず、血液の状態も悪化していたことから3日後、血液内科に転科することになりました。血液内科に転科してからは、先生が血液内科の病棟までわざわざエコーの機械を持ってきて診察してくれたり、産科で診てもらった時は、血液内科の病棟まで車椅子を押して送ってくれたこともありました。良い意味で大学病院の先生らしくなくびっくりしたのを覚えています。
 事態が変わったのは血液内科に転科して5日後。下着が濡れているのに気付き、血液内科の看護師さんに急いで産科に連れて行ってもらいました。診察の結果、やはり破水で急遽産科にもどることになりました。その時点で、まだ妊娠6ヶ月の終わり。赤ちゃんがお腹の外の世界で生きるには厳しい時期でした。先生は私の赤ちゃんを助けて欲しいという希望を聞いてくれ、1日でも長くお腹にいられるように処置をしてくれました。それからはお腹の張り止めの点滴をして、毎食前お腹にモニターをつけて赤ちゃんの状態を確認しました。そして破水から3日目、妊娠7ヶ月に入った日の夕食前のモニターで先生の顔色が変わったのがわかりました。やはり赤ちゃんは危険な状態になっていました。その時の私の血液の数値も最悪で緊急帝王切開に踏み切ると出血が止まらない状態でした。輸血をしてもなぜか数値はあがりませんでした。そんな状態になっても赤ちゃんを諦められない私に先生は「このまま帝王切開をするとあなたは赤ちゃんに会えないまま死んでしまうと思う。赤ちゃんもかなり小さいから産まれて4、5日で亡くなってしまうと思う。あなたの気持ちも大事だけど、残される人達の気持ちも大事。」と目に涙を溜めて諦めることを説得されました。そして、先生の横にいた主人の顔をみて主人も同じ気持ちだとわかり諦めることを決めました。経膣分娩で赤ちゃんを取り出す事が決まり、張り止めの点滴が外され、子宮口が開きやすくなるように処置をして、赤ちゃんとの最後の夜を過ごしました。
 次の日の朝9時から陣痛促進剤を使いすぐに陣痛が始まりました。そして午後4時48分、344gの男の子が産まれました。「赤ちゃんは残念ですが」と告げられましたが覚悟はしていたので泣くのは我慢できました。出産からしばらくして分娩室で休んでいたところに出張から戻ってこられた古賀先生が来てくれて隣で他愛もない話をしてくれました。変に励ますことも慰めることもなく普通に話をしてくれた事が逆に励まされたように思いました。その後主人と2人で赤ちゃんと会い、主人の「かわいいね」の言葉でそれまで我慢していた涙がどんどん出てきてしまいました。これが3人だけで過ごした最初で最後の時間でした。出産してからも古賀先生はマメに病室に顔を出してくれて明るく接してくれました。その後、産科を退院して血液内科に移ってからも病室に顔を出してくれました。
 血液内科に移って1ヶ月位たった頃、熱の原因が結核だと判明し、今度は結核病棟に転科することになりました。幸いにも排菌していない結核だったので、病棟から産後1ヶ月検診にも行くことができました。その時も古賀先生が診てくれて「まさかパジャマでくるとは思わなかったよ〜」と冗談で笑わせてくれました。そして「結核と血液の治療が終わったらまたおいで。僕は毎日いるから」と言ってくれました。
 それから1年後、結核の投薬治療が終わり、そのまた半年後には血液の投薬治療も終わり、やっと婦人科に通えるようになりました。古賀先生とは久しぶりに会ったのに、なぜかそんな感じはしませんでした。今思えば、一番つらい時を見守ってくれていた方だったからかもしれません。
 婦人科に通い始めて血液検査をしました。先生は亡くなった赤ちゃんが小さかったのは血栓が出来ていたのかもしれない、と抗リン脂質抗体症候群を疑ってらっしゃったようでしたが、結果は陰性。たぶん抗リン脂質抗体症候群に似ている事が体の中で起こっているんじゃないか?ということで、サイレイトウという漢方薬を処方されました。
 サイレイトウを飲み始めて4ヶ月目に妊娠しましたがこの妊娠は初期流産に終わってしまいました。この流産の時も検査の結果を電話してくれ、私がちょっとした変化で電話した時も優しく対応してもらいすごく心強かったです。
 それから3ケ月体を休めて、またサイレイトウを飲み始め流産から半年後、再び妊娠しました。妊娠がわかってからはバファリンも飲み始めました。8週位までは毎週病院に通いました。6週の始めに心拍が確認できた時は「今回は9割うまくいくよ」ととても安心する言葉を言ってもらいました。そして婦人科を卒業して産科に通い始めました。ほんとはずっと古賀先生に診てもらいたかったのですが(笑)。
 産科に通い始めてからも血液の数値の低下以外はずっと順調でした。そして8ヶ月の中頃に血液の状態が悪化してきた為、入院となりました。逆子だった為帝王切開が予定されていたのですが、産科と血液内科の意見が会わず延期になったり、輸血したのに血液の数値があがらず中止になったりと手術日が二転三転する中、時々不妊治療で病棟にみえる古賀先生に会って不安を聞いてもらうと不思議と心がスーッと楽になりました。
 結局、36週6日という1日だけ早産となりましたが2,234gの小さいけど、元気な女の子を出産しました。出産後、古賀先生も病室に来てくれて「おめでとう」と言ってくれました。それは古賀先生の口から聞いた初めての「おめでとう」でした。誰の「おめでとう」よりも1番うれしかったです。ここまでいろいろあったけど、頑張ってこれたのは古賀先生と支えてくれた家族と空に帰っていった赤ちゃんのおかげだと思います。あの時の主治医が古賀先生じゃなかったら・・・流産を繰り返して子供を産むことをあきらめていたかもしれません。あの初めての妊娠で古賀先生に出会えてほんとに良かった。
 長女を出産して1年3ヶ月。再び古賀先生のお世話になります。先生の心の込もったステキなクリニックで。