古賀文敏ウイメンズクリニックKOGA FUMITOSHI WOMEN’S CLINIC

患者様の声

治療内容

治療内容:

先生に出会えて、私たち家族はたくさんの幸せをいただきました

通院中は大変お世話になりました。一言お礼を申し上げたいと、ペンを取りました。赤ちゃんの抱っこのしすぎで腱鞘炎になってしましました。自筆出来ず、こちらで失礼いたします。
 先生のおかげで〇〇年〇〇月にかわいい男の赤ちゃんを出産することができました。29歳から不妊治療を始め、病院を4つ転院しました。当時、私は、38歳でもうこれが最後のチャンスかもしれないと思っていました。だめかもという気持ちと、もしかしたらという気持ちで、ドキドキしながら病院に行ったことを今でも覚えています。先生に一目お会いした時に、古賀先生のもとでもう一度頑張ってみたいと強く思いました。後悔する人生を歩みたくない。41歳になり、タイムリミットがせまる中、妊活に専念したいと不妊治療の休暇を取得することを選んだ時にも、先生には何度も診断書も書いていただき、お力を貸してくださいました。今でこそ不妊治療の休暇は門戸が広がり、認められるようになったと聞きますが、県では2例目だったと言われました。パイオニア的存在になるため、本当にご迷惑をおかけしました。そして、ありがとうございました。感謝しかありません。あのことがなければ私は今の幸せな自分はなかったと思っています。私の人生や私たち家族の人生に全力で寄り添っていただき、大きな、大きな力をいただきました。
 流産や、仕事と通院の負担で一時はあきらめそうになりましたが、いつも先生の前向きな言葉や考え方に救われました。AMHも1.0を切っていたし、取れる卵も1個になりグレードも低く、本来の私ならば弱音を吐くところだったのですが、「この治療ができることが幸せだ、このチャンスがあるうちは絶対に悲観的な事は言わないでおこう」と心が決まりました。移植の際、先生がとてもきれいな卵ですよと言ってくださって・・・私はその言葉が嬉しくて、嬉しくて、病院を出て、泣きながら夫に電話しました。すると、夫は「妊娠したよ、妊婦さんに決定だね」と言って、駅まで迎えに来てくれました。そして妊娠判定日まで、私たちは妊婦だと思い込んで過ごしました。重いもの持っちゃいけんと、ゴミ出しや掃除機がけ、風呂掃除買い物、夫が進んでやってくれました。今までそんなことは初めてでした。できるだけゆったりして過ごしていました。そして、現実のものとなりました。夢の中にいるようでした。先生にお会いできなければこの奇跡は起きなかったと思っております。
 赤ちゃんは8ヶ月になりました。驚くほど、私に似ていて、70才の両親が抱っこしながら、私の小さい頃のようだと喜んでいる姿に、嬉しくて、涙が出ます。母親も「古賀先生のおかげよ。この年になってこんな幸せがあるとは」とお礼が言いたいからお土産を持って会いに行きたいと毎回言っています。お忙しいからやめるように言っていますが。先生に出会えて、私たち家族はたくさんの幸せをいただきました。本当にありがとうございます。先生のお名前を一字頂こうかともおもいましたが、恐れ多いので、先生と出会った瞬間、先生にかけてもらったお言葉、誕生するまでのこの瞬間を忘れないように、そして先生のようにたくさんの人を助け、その人たちの道を明るく照らせるような暖かい存在になって欲しいと願いをこめて名付けました。息子にも、先生と病院で過ごした治療の時間は話してあげたいなぁと思っております。
 ご多忙だとは思いますが、どうかいつまでもお元気で、お体大切になさってください。まだ卵の凍結が残っていますので、迎えに行こうと思っております。その時にまたお礼を言わせてください。先生の益々のご活躍をお祈りしております。