古賀文敏ウイメンズクリニックKOGA FUMITOSHI WOMEN’S CLINIC

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院長コラム

院長 古賀文敏 が不定期に書いているコラムです

2010.01.08

桜の木のもので

安静室のフローリングリニューアルです!

お盆休みの間、いつもより採卵が立て込んで、空いた時間を作るのが大変でしたが、お世話になっているオオモリ創建さんに、また無理言って夜通しで作っていただきました。開院時は、安静室を北欧の部屋のイメージでデザインしたので、柔らかな色合いの杉の木で作ってもらっていました。加工されていない杉の木は、素足で歩くと本当に気持ちいいもので、当時は呼吸している木が、時折パーンと音を立てているのもなんだか自然と暮らしているようでした。患者さんが少なかった頃、昼休みにグリーンの部屋でくつろぐのが一番の憩いでした。ただ家庭の部屋と違い、土足で出入りするため、少し色が変わってきてしまい、今回満を期して桜の木に変えました。少し赤みがかったチェリーで、温かな色合いです。

昨年より診察室のチェアー、待合室の本棚と少しずつリニューアルを進めていますが、今回一番大切な安静室!・・なじんでいてほっとしました。この安静室、クリニックにしめる面積からいうと格別の大きさです。一般に、駐車場がいくつもあるお産する産婦人科とは違って、不妊専門クリニックは、遠方からでも来院しやすいように交通の便がいいターミナル駅近くの立地がほとんどです。当然家賃も高いため、安静室に個室はとれません。採卵時に麻酔するため、術後管理を考えても個室は不便です。

また消防法の観点からすると、個室を多く作ることで、煙が逃げにくいことから、不燃材で覆わないといけないなどの制約があります。その結果、大部屋のカーテンに仕切られた中、パイプベッドが並んでいるという見慣れた光景になります。でもこれは、すべて医療者側の論理です。そこには夫の居場所がなく、そのくせ採卵にあわせての採精(精子をとってもらうこと)は、しっかり強要するシステム。男性が「俺は種馬でない!」と、ただでさえ否定的な不妊治療に拒否反応をもつのも無理のないことだと思います。でもそんな時、結局つらくなるのは、ひとりにされた女性。

「お産する女性だけが偉いのではない」「こうして一生懸命頑張っている女性にも同じように祝福された環境を!」そうした信念で、まず安静室を個室にし、ホテルのような空間にと考えました。部屋ごとについているお化粧直し用の洗面台、待ち合いとは別の化粧室、ご主人がつき添うためのゆったりしたソファ・・・。ついでながら、胚移植の時にお出ししているキルフェボンのケーキは、ささやかながら、お産した女性が受けるエステやフランス料理のつもりです。

こうして全体の大きさが決まっているなかでパズルを組み合わせるように割り振っていった結果、最後に残った院長室はほんの小さな空間になりました。福岡の一番家賃の高いエリアで、二人だけの個室、きっと経営コンサルタントはびっくりされることだと思います。ざっと計算しても部屋代だけで一日1万は下りませんから。でも新しい命をはぐくむための始まりには一番大切な空間だと考えています。

でもここから“闘い”は始まりました。個室にしたために消防法とどう折り合いをつけるか・・・結果、待合から安静室に入るドアは防火対応の重いものに。給排水管が通っているパイプスペースから一番離れたグリーンルームに化粧直しの洗面室を作ると・・・勾配のための床上げが最低30センチ必要とのことで、スケルトンの時の天井高に惹かれた空間が徐々に狭くなってきました。安全の配慮としては、手術室から安静室へストレッチャーでも移動できるよう手術室の扉は特別大きいものにやり直し、周産期センターにもあるような遠隔バイタルモニターも設置しました。手術室や培養室に特大のHEPAフィルターを導入したためスプリンクラーとバッティングし、天井高のために再度工事をやり直し、その間にも日々の家賃が発生・・・「ご主人にもあなたの気持ちをわかってもらえるよう、そして未来を一緒に語れるよう、男性も入りやすい居心地のいい空間を作る」という「思い」の代償はことのほか大きいものでした。

クリニックをつくる時に念頭においたのは、いつ行っても心和み落ち着ける空間。沖縄のブセナテラス、鳥栖にあるスポーツクラブのCasa dela vitaはその代表です。飲食系では、久留米のレストラン牛車や鳥栖の花やしき。いずれも緑に囲まれた開放的な空間です。福岡につくることを考えてからは、今泉の季離宮や浄水のセ・トレボン(今ではギモーヴの専門店に変わってしまいましたが・・・)など。

でも福岡での立地にあれほど贅沢な空間って、実はそれほど甘くないことが、実際自分のクリニックを設計に落とし込むとよくわかるものです。「挑戦こそが原点。建築ってデザインと思われるけど、そんな生やさしいものでなく、現実的でお金がからんでドロドロしたもの。それだけに、思いの深さ、情熱の激しさが原動力になる」建築家の安藤忠雄氏の言葉が響きます。プロボクサーからスタートし、独学で建築を勉強し、東大を超え、今なお「闘う」安藤氏。熊本駅の再開発を安藤氏に頼んだら、予算オーバーで頓挫とか、たぶん行政サイドにはその思いについて行けないのでしょう。アルマーニや三宅一生、ベネトンやロックスターU2のボノなど個人的にエネルギーがあふれている面々が彼のファンだということも頷けます。

昨今よく聞く「100年建築」とはいわないまでも、商業ビルは、経営効率を考えるからこそ、何を重視するのか、経営者にとってはまさに生きるか死ぬかの決断だろうと思います。丸井デパートが入る予定だった、グリーンルーム向かいの旧ラインビルは、1件の立ち退きに失敗したこともあって、誘致できず、結局倒産しました。しばらく更地になるべく、ここ最近取り壊しの工事中です。「大名界隈の飲食は、3年もったら、老舗だ。」と業界の方が話していたように、ここは至る所でスクラップアンドビルドが行われています。

一つ一つがたとえ小さくても命がけの闘いです。そのドラマを近くで見ているだけに、「闘う」といった安藤氏の言葉が私にもわかるようになってきました。だからこそ世界の「ANDO」が無名だった頃、日本のサントリーの社長が目をかけたその眼力には驚くばかりです。海外に負けないような本格的モルトを日本に、そして当時の日本では寡占状態だったビール業界に参入と、規模は違えど、“挑戦”の思いがあったのでしょう。

安藤氏の建築に比べるとちっぽけだけど、僕らの挑戦はこれからも続きます。今までの杉床の部屋で多くの奇跡がおきました。今まで他院で6回目の流産の後、41歳で妊娠・出産された方、他院で5回採卵するも一度も胚移植できなかったのに当院で4回目に妊娠継続した方、また他院で7回うまくいかなかった方が、先日1回目で妊娠した方・・・でも残念ながらご希望に添えなかった方もおられます。「これからも私たちは闘います。」新しい桜の部屋で。そして将来もっと思いを込めた空間で・・・。