古賀文敏ウイメンズクリニックKOGA FUMITOSHI WOMEN’S CLINIC

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院長コラム

院長 古賀文敏 が不定期に書いているコラムです

2022.11.04

鈴木秋悦先生を偲んで

 生殖医療の分野で世界的権威で、日本はもちろん韓国や台湾、アメリカからも大変大人気だった鈴木秋悦先生が今年2月12日に亡くなられました。当院のトピックス2008.8.28の記事に掲載していますが、私の開業前から何かと相談に乗って頂きました。私には雲の上の存在で、近づくことも恐れ多いぐらい、この生殖医療の分野では中心的存在でした。慶応大出身でもない、学術的に秀でてもない私を本当に息子のように可愛がって頂いたのは、夢のような時間でした。秋悦先生の一つ一つの言葉が私の人生の道しるべになりました。
 今年10月23日東京の明治記念館で「鈴木秋悦先生を偲ぶ会」が開催され、弟子代表として弔辞を読む機会を頂きました。
当院は、鈴木秋悦先生とともにあると思っていましたので、本当に光栄でした。伝えきれない思いですが、3分ぐらいの短い文章に綴りました。

秋悦先生見て下さい。

『 鈴木秋悦先生に謹んでお別れの言葉を捧げます。

秋悦先生のお顔をこうして拝見すると、在りし日の学会最前列で凜として私たちを指導されてきた日々が思い出されます。
秋悦先生との出会いは、平成17年8月大阪で開かれた第23回日本受精着床学会でした。『早朝有名先生とテーブルを囲んで生殖について語り合おう!』という、大会長の森本義晴先生でなければ思いつかないようなセッションでした。うろ覚えのcapacitationについての質問から興味を持って頂き、先生との深い深い関わりが始まりました。あの瞬間こそが私の人生の大きな転機でした。開業場所に悩んでいた際、人口が多いところを薦められ、考えてもなかった福岡市での開業に始まりました。他の先生方と上手にやっていけるように、ことある毎に秋悦先生は私を紹介して頂きました。7年後の当院の移転パーティーでは、全国の高名な先生を秋悦先生自ら人選され、お声かけ頂きました。先生の鞄持ちさせて頂く中で、多くの先生方から「慶応の後輩ですか?あるいは息子さんですか?」と聞かれたことも度々ありましたが、秋悦先生は「私の追っかけ!ファンなんだよ」と笑いながら紹介されましたね。
 学会では大勢の弟子達と夜遅くまで懇談しながら、翌日朝は私とゆっくり話せるよう、朝7時朝食会場で待ち合わせが恒例でした。コーヒー飲みながら、生殖、社会、人生について私に語って頂けました。直先生(聖マリアンナ大学産婦人科主任教授で秋悦先生のご長男)から秋悦先生の三男坊とおっしゃっていただけるぐらい、学閥、研究もない田舎者の私を息子のように可愛がって頂きましたでもこれは、先生の原点、北海道の無医村で鮭の産卵を一緒に観察したであろう級友の鼻たれの子ども達のイメージだったのかもしれません。
 安きに流されやすい私の性格を知っておられたのでしょう。原利夫先生のARTナースアカデミーでは毎年違うテーマを1年かけて準備・講演するノルマを私に課せられました。上手に講演した時は、満面の笑みで喜んでいただけたことが今でも目に浮かびます。ただ着床に関して消化不良のまま講演してしまった際には厳しい表情で叱咤されました。「このARTナースアカデミーは誰のためのものなんだ!」私は、この問いに『もちろん全国の生殖医療を学びたいナースのためですよね」と思いつつも「私の為です!」と答えたら「そうだよ、古賀君のためのものだよ」と口にされたことはとうとう主催者の原先生には伝えることができませんでした。(私を色々と可愛がって頂いた原利夫先生も2020年急逝されました。)
 水頭症を煩われて歩くことがままならないときのハワイのASRMは、特に秋悦先生と濃密な時間を過ごしました。先生の好きなハレクラニに宿泊し、先生のご家族旅行恒例だったサントリーの鉄板焼きまで、車椅子をお勧めするも、固辞され、足取りおぼつかないなか1時間かけて歩かれました。「ここは家族旅行の時必ず来るんだ」とおっしゃられ、先生の信念と強さを感じました。
 諸先生方の弔辞のように、秋悦先生の逸話はつきません。そして日本の生殖に関わる医師がこれほど学閥に関係なく、情報交換しあい、兄弟舟を歌いながら切磋琢磨してきた世界は、ほかにないと思います。秋悦先生のお力そのものです。秋悦先生は、生殖に関わる先駆的研究、学術的業績が多々ある中で、生殖医療の臨床応用にはあくまで慎重でした。そして医療として進めるからには、私たちが医師としての原点を見失うことなく、きちんとbiologyを通して患者さん中心の医療の大切さを説かれていました。
 医聖ヒポクラテスは、プラタナスの木のもとで「名医であるより、患者さんにとって良医でありなさい」と弟子達に教えていました。私のクリニックは、このプラタナスの葉をモチーフにしています。私たちは、これからも秋悦先生の教えを守っていきます。

秋悦先生本当に有り難うございました。

令和4年10月23日

古賀文敏 』